優しい愚者
かささぎは薄型ノートパソコンを弄っていた。劉鳴は朝風呂だ。彼が入浴中であることを確認したかささぎは、そっとパソコンから離れて劉鳴の持ち物を漁る。目当ての携帯を見つけて電源を入れる。ここ数日、劉鳴がメールやラインで誰かと連絡を取った形跡は無い。携帯を元の場所に戻す。その前に、携帯をつくづく凝視した。……デコレーションが激しい。ピンクと透明のラインストーンでびっしり埋め尽くされており、まるで女子高生の携帯だ。年齢の割に若いのは承知しているが、ここまで徹底しているともう天晴とすら思える。浴室からは鼻歌が聴こえる。呑気なものだ。自分のストッパーとして同行している癖に。花屋敷からここまで、彼と行程を共にして来て、劉鳴の人となりや、思考の傾向はだいぶ把握した。彼はかささぎの保護者たらんとしている。そうして、悔しいことに、その被さった親鳥の羽を撥ねつけるだけの力をかささぎは持たない。人としても、能力保持者としても、劉鳴に比べるとまだまだ未熟なのだ。かささぎにはそれを痛感するだけの認識力はあった。こんな時、布帛がいれば微苦笑混じりに焦るな、と声を掛けてくれただろう。温かい飲み物の一つも、差し入れてくれたかもしれない。けれどその布帛は、もういない。良い奴程、早く死ぬとは本当だ。そう思えばことの顔を思い出し、胸が痛んだ。今頃、自分を心配して動いている。隼太と行動さえ同じくして。姉の愛情深さは熟知していた。追い縋る、その嫋やかで白い手を拒絶し続けているのは他ならぬかささぎ自身だ。かささぎは自分の携帯を取り出す。ことの番号が入っている。彼女からは日に一回、ラインメッセージが入る。内容は他愛もない。元気かとか、ちゃんと食べているかとか、そうしたものだ。かささぎは既読のみつけて、返信せずに携帯を仕舞う。それが日常と化してしまった。
きり、とまた胸が痛む。なぜだろう。覚悟は、とうにしていた筈なのに。布帛の仇を討つのは至上命題の筈であるのに。ことの顔を思い浮かべると、揺らぐものがある。優しいこと。優しい愚者。
だからかささぎは時に不安になる。ことが、布帛のように早世するのではないかと考えて。ではそのように彼女を追い詰めているのは誰かと問えば、それは現在、かささぎに他ならないのだ。かささぎのプレーンな濃紺の携帯に、一つだけ貼られた装飾。四つ葉のクローバーのシールはこととお揃いだ。彼女がどんな思いでこれをかささぎに渡したのか、察して余りある。かささぎは俯いた。
「ごめん、姉さん……」
劉鳴の鼻歌は、確かどこかの民謡だ。湿り気を帯びた声がまだかささぎの耳に届く。
アーサー・スミスの愛猫であるホームズは、非常に利口で、主人の不在中も、自分で餌を食べ、用を足し、安眠を得る術を身に着けていた。元は保護猫だった。老齢で引き取り手のない猫を選んで家族に迎え入れたアーサーは、この猫をいたく可愛がっていた。今回のように任務で長期不在する時は、猫相手に事情をよく話して聴かせ、傍を離れる不義理を詫び、その埋め合わせのようにホームズを甘やかした。自然とホームズはアーサーによく懐き、留守中も行儀よく過ごしている。だから、不法侵入者には敏感だった。
よく整えられた室内を一瞥した景は、毛を逆立てて威嚇するホームズを無視して、アーサーの机に近づいた。抽斗を上から順に開けて行く。アーサーは聡明な男だ。片桐の命の代わりを、軽率に持ち歩くとは思えない。景は丹念に、赤い切子細工を求めて机、机回り等を隈なく捜した。今にも飛び掛かって来そうなホームズは、やはり無視した。彼はどうしても探し出さねばならなかったのだ。二条摩耶を愛していたから。




