蝶野芳江の選択
外見から誤解されることこそ多いものの、蝶野芳江と言う人物は、非常に男気溢れる性格の持ち主だ。そして、幼い頃から共に過ごした撫子に、とことん惚れ込んでいる。撫子に弱い。加えて、女子供の懇願に弱い。聞き届けてやりたくなる人の好さと、実行力も兼ね備えていた。
しかしこれは。
「あかん」
心苦しいが、そう答えるしかない。楓の眉根が寄るのを見て、内心ではかなりの動揺がある。
「どうして?」
「楓ちゃんを一人で行かせることは出来ひん。せやかて、俺がここを動くことも無理や。俺は、こと様からこの家と、そして楓ちゃんを預こうてるからや。楓ちゃんは今、本丸や。かささぎ君を捜しに行く言う、理屈も気持ちもよう解る。せやけど、せやけど……、こと様が心配しはるてよう解ることを、俺が率先して勧めることも出来んのや」
楓が俯いて唇を噛むと、艶のある髪がさらりと流れた。客間には撫子も摩耶もいて、今は芳江に場を委ねている。土曜の午前中、明るい光が客間に満ちているが、漂う空気には緊張感があった。
かささぎたちを捜して、隼太から遠ざけたいと楓が言い出したのは、朝食後の片づけや掃除、洗濯が終わり、皆がひと段落ついてお茶を飲んでいる時だった。思い詰めた表情で、楓が告げた言葉は、しかし容認出来るものではなかった。芳江は楓の守りをことから託されている。難しいのがその先で、楓の心をも守る必要があるということだ。ここで言葉を一つ誤れば、少女の繊細な心を損なう可能性が生じる。芳江はコトノハを、強く意識して慎重に処方した。楓がことのアキレス腱なら逆もまた然りだ。彼女たちは実の親子以上に、互いを深く思い遣っている。
聡明な楓には、芳江のコトノハの重みがよく解るのだ。その聡明さは、時に彼女にとって諸刃の剣で、しかしこれからも成長していく上で、欠かせない素養だった。芳江は、花に触れるように楓の頭にそ、と手を置いた。
「待つことは辛いな。待たんことと同じくらい、しんどいかもしれへん。楓ちゃんは、今までも耐えて来たんやろ」
酷なことを言っている自覚はあった。しかし、言う必要のある言葉だった。
「せやから、もう少し、頑張ってえな。俺らと、こと様を信じて待ってくれ」
楓が顔を上げて芳江の顔を直視する。心ならずも滅多にない美貌と称される時がある自分の女顔を、芳江はこの時恨んだ。説得力に欠ける要因になるかもしれないと感じたからだ。だが、楓は、深く、ゆっくりと頷いた。
「解った。我儘を言って、ごめんなさい……」
「一人やないで、楓ちゃん」
撫子が言い添える。撫子の、こうしたところにも芳江は惚れている。摩耶は何も言わず、楓の肩に手を置いた。芳江は硝子戸の外を見る。白い、大きな雲が鯨のように泳いでいる。同じ空の下にことたちも、かささぎもいる。正直に言って芳江は、隼太がしたことをかささぎが許せないことは当然だと思うし、仇を討ちたいと言う気持ちもまた理解出来る。しかし、それよりも、かささぎの手を血で汚したくないと言うことの気持ちのほうが、より強く理解出来るのだ。血は人を幸せから遠ざける。芳江はその道をかささぎに進ませたくない。
無血で争いを収拾させること程、困難な道はないことも解ってはいたけれど。




