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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
乱刃血縁編 第五章
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中庭にて

 目覚めた聖は飛び起きた。

 反射的に横のベッドを見る。澄ました無人のベッド。昨日の出来事を思い出す。美しく成長したことの、必死の話を。彼女の声音に嘘はなかった。信じられないが、自分は時を経て、想う少女の成長した女性と結婚することが出来たのだ。それはまるで禁域に踏み込んだようで、空恐ろしくさえある。依然として戻らない、空白の記憶が問題だった。


 部屋に戻ると、聖が寝ていたベッドはもぬけの殻で、洗面所からバシャバシャと水音が聴こえる。少しして、聖が顔を見せた。私を認めると滲むような微笑を浮かべる。

「こと様。おはようございます」

「おはようございます、聖さん。よく眠れましたか?」

「はい」

「記憶のほうは……」

「そちらはまだです」

 けれど、と聖が言葉を継いだ。

「僕にとっては、こと様が傍にいらしてくださることこそが、肝要ですから」

 朝食はレストランで摂った。

 大海と隼太、恭司の姿もある。大海は聖を見て、あからさまに顔をしかめた。恭司が私たちのテーブルにトレイを持って来る。瞳には懸念。

「記憶がないと聴いたが」

「君は誰だ」

「……本当らしいな。俺は佐々木恭司。音ノ瀬ことの、養女の、ええと、許嫁だ」

 楓のことも恭司のことも、昨夜の内に話してある。しかし聴くと見るとでは違うようだ。赤い双眸は食い入るように和製天使を見つめている。

「恭司君、か。強いんだね」

 コトノハの強さ、身ごなしからの判断だろう。聖は隼太たちのほうも気にしていたが、彼らがこちらに足を向けることはなかった。朝食後、私はホテルの中庭を散策した。雨に洗われた白梅と紅梅が露含み咲き匂う。雅趣に富む光景だ。私は一枝に手を伸べて、儚い花弁に触れた。露が指先を濡らす。陽光が降りかかる中庭にプリズムが躍っている。聖と一緒に観たいと思った。彼は今、部屋で記憶を取り戻そうと格闘している。聖は私を私と認識してくれた。それが何より嬉しい。彼もまた、私と添えたことを得難い僥倖と感じてくれているようなので、尚更だ。密やかな足音に、私は目を向ける。大海がいた。

「花が好きなんだね。やっぱり磨理だ」

「いいえ、私は違います」

「どうして嘘を吐くの」

「嘘ではありません」

 私は警戒して距離を取ったが、大海は構わず近づいて来る。ジャリ、と地面の音。疾風のように割り込む影があった。

「この女は磨理さんじゃない」

「恭司君。君まで、僕に嘘を言うのかい」

 恭司は真剣で、そして鎮痛な面持ちをしている。

「嘘じゃない……。磨理さんは、病気で亡くなった。もう、この世のどこにもいないんだ。聞き分けてくれ。大海さん」


 恭司は泣いていた。

 彼のコトノハから、楓を喪った可能性を思う時の感情が雪崩れ込んで来る。世界中から愛する人が消えたと知らされる時、人はどれだけの絶望に襲われるのか。

 大海は赤ん坊のように澄んだ目をしていた。意外に長い睫毛が上に下に動き、それからかぶりを振ると、ぶつぶつ、何かを言いながら立ち去って行った。



七瀬渚さんより、少し前の聖を描いていただきました!

儚い風情が何とも言えません!(^^)!

ありがとうございます。


挿絵(By みてみん)



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― 新着の感想 ―
[良い点] ちょっと幼い感じの聖、いい!
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