グッバイ、ミックスナッツ
翌日の夜、聖は隼太にバーに呼び出された。ことの傍を離れるのは気が咎めたが、たまには男同士の友好を深めるのも悪くないと、ことに送り出されたのだ。隼太はいつもの紫陽花色のコートを着て、先に始めていた。ピアノが流れる。確かこれは鎮魂歌だ。美しくも物悲しい。聖は光源を抑えられた空間の丸椅子に座り、ジントニックを注文した。隼太は琥珀色の酒を飲んでいる。レミーマルタンだろうか。
「話とは何だい」
「別に。お前と飲みたかっただけだ」
目前に置かれたジントニックを一瞥して、聖は小首を傾げる。隼太はそんなタイプではない筈だが。
「恭司君も呼べば良かったのに」
「……なあ、鬼兎」
「何だい」
「お前、どうして生きてる?」
「え?」
ジントニックを飲み干した聖の赤い目が大きくなる。
「一度は死んだ命だ。音ノ瀬ことの、摂理さえ捻じ曲げる膨大な力ゆえに舞い戻った。だが正しくは死人だろう?」
「……こと様が望まれたことに否やはない」
「傲慢だな」
聖の前にまたジントニックが置かれる。鎮魂歌は流れ続ける。流麗に悲しく。
悲しく。
「あれも息が苦しいだろうに」
くいっ、と、隼太が酒を呷る。聖は密かに、隼太の言動を訝しく感じた。こんな風に、感傷的に喋る男だっただろうか。このバーのバーテンは腕が良い。ジントニックが美味しくて何杯でも飲めそうだ。聖は酒に強い。強くあるように心掛けて生きて来た。ことが酒豪だからだ。彼女が酩酊して前後不覚になっても、自分が動けるようにと意識した。隼太はそれきり沈黙した。バーの上から下がる装飾の凝った照明は、恐らくはルネ・ラリックだ。どんな明かりの下でも絵になる男だと、隼太を眺めて思う。何でも持っているようにも見えるし、何も持たないようにも見える。そう言えば今日はまだ、大海の顔を見ていない。体調が悪いのだろうか。ことにあんな真似をした後だから、正気づいて気まずくなったのだろうか。
「君は息が苦しくないのかい」
「ないね」
「即答するね」
「真実だからな。お前たち程、愚かになる余裕がない」
「耳が痛い」
聖は白いシャツにグレーのベストを着て、胸元にネクタイピンを下げている。青く光ることの命。隼太がそれをちらりと見た。聖は肴にミックスナッツを注文した。隼太がその手元をよく見ていると、マカダミアナッツから選り分けて食べている。好きなのだろうか。その内、ミックスナッツを摘まむ手が止まった。隼太はそれを横目に飲み続ける。やがて聖の頭ががくりと垂れて意識を手放しても、隼太は飲み続けた。
「さよなら鬼兎」




