男が永遠に女に勝てない定理
隼太は眠り続ける大海を見ていた。先程の愚行は、大海に非がある。遠因こそことにあれど、先に迫ったのは大海だ。だが、彼はことを磨理と捉えていた。断じ切れないものがそこにある。隼人は、大海をコトノハ処方可能な女性と見合いさせたがっていたらしい。しかし大海は磨理を見出し、さっさと結婚してしまった。隼人は相当、反対したようだが大海の情熱がそれに勝った。
磨理の命がまだ永らえていれば、大海がここまで正体なく狂うこともなかったのだろう。磨理は、早く逝き過ぎた。桜色の寝具に埋もれた大海は健やかな寝息を立てている。
「お前、いっそこのまま死んでしまえよ」
隼太の声には怒りも悲しみもなかった。只、淡々と宥め聞かせる口調だった。そのほうが良いのだ。今にして思えば、燃える花屋敷と共に逝かせてやるべきだった。大海の嘆きも苦しみも、傍にいた自分が誰よりもよく知っている。命を放棄した男を救ったのはことだった。楓だった。しかし、彼女たちの「救済」は、大海には過酷と思えてならない。隼太はあの時、もう大海を逝かせてやろうと、そう考えていたのだ。
女は殊更、異常なくらいに命を擁護し守ろうとする。母性の成せる業だろうか。男が手放すことに長けているのであれば、女は守り慈しむことに長けている。昔、何かに書いてあった。
〝女の人の、そういった情熱には勝てないよ〟
ことを見ていればそれがよく解る。
「それでも、死にたいか? 大海」
答える声はない。今や眠りの国だけが大海の楽土なのであろう。男は最初から女に負けていると言う。ならば大海は、ことにずっと勝てない。小さく狭い楽土でのみ息が出来る。或いは。
或いは、本当にこと自身を贄として捧げたならば。
大海が磨理と誤認する相手の女性に共通項があることを、隼太は見抜いていた。正直で誠実で愛情深い。隼太は知らない。知らないが、磨理とはそのような女性だったのだろう。ことは、大海の求める条件を全て満たしている。
「だが、あいつがいる」
聖がいる。誰よりことを愛し、ことに愛されている男が。
換言すれば、聖がいなければ、ことは大海を振り向くかもしれない。どうしても、血を流しても泥を啜っても、そこに嘆く声があれば、振り向いてしまうのがことだから。
「鬼兎さえ、いなければ」
隼太は紫陽花色のコートの内ポケットから一枚の色褪せた写真を取り出した。見知らぬ女性の笑顔が咲いている。その輪郭をそっと手でなぞった。
「母さん」
愛されながら早世した母を呼び、隼太は再び眠る大海を見た。




