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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
乱刃血縁編 第五章
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その時はマエストロのように

 何かを決意した時の、深沈とした人の表情は美しい。それは、楓のような少女であっても。彼女は恭司に行って、と告げた。隼太の元に。ことの元に。行って、助けになってくれと頼んだのだ。精神的にも肉体的にも、自らの守りが薄くなると承知の上で。恭司は楓を凝視した。楓の瞳は揺るがず、凛とした黒だった。低気圧が居座り、外は極めて寒く、吹雪いていた。

「こんな日に、追い出すようなことを言ってごめんなさい」

「良いよ。お前のほうが、辛いだろう」

 俺を好きだから。

 俺が大事だから。

 ことのいない心の間隙を満たすパーツが欠けることは痛いだろうと。楓は唇を引き結んだ。強く、それでいて何かを乞うような面差しだった。こいつは良い女になると、恭司の胸のどこかが判じる。彼女の懇願であれば、どんな悪天候であれ、飛び出すことを引き受けるのが恭司だった。ダウンジャケットを着ると、楓がふわり、と自分のマフラーを恭司の首に巻く。ことの影響で寒色を好む楓のマフラーは、真っ直ぐな青だ。焦げ茶色のジャケットに落ち着く色合い。時々、恭司は自分が楓に守られているのか、自分が楓を守っているのかが判らなくなることがある。この、マフラーを巻くだけの仕草で、胸に満ちるものは何だろう。

 釣忍が狂ったように、引っ切り無しに鳴っている。そのどさくさに紛れるように、恭司は華奢な楓の身体をぎゅっと抱き締めた。楓も恭司の背中に腕を回す。

「風邪ひくなよ」

「うん」

「ちゃんと飯は食え」

「うん」

「浮気するんじゃねえぞ」

「莫迦。絶対にしないよ」

 寧ろ恭司君のほうが心配だよと、笑いながら楓が身を離した。恭司はもう少し、少女の柔らかな感触を味わっていたかった。だが、切り替える。スイッチが、オフからオンに。機械的な音が脳内で歌う。後は猟犬のように駆けるだけだ。撫子たちに簡単に話してから、恭司は音ノ瀬家を出た。宵の迫る空はいよいよ薄暗い。吹雪が、画家の黒いキャンパスに描き殴ったチャイニーズホワイトのようだ。かささぎが、こちらの動向を窺っている可能性も視野に入れ、恭司はわざと隘路(あいろ)、裏道を行く。こうした動きには慣れている。かささぎの上だと自負出来た。吐く息はずっと白い。楓のマフラーが呼気を吸って湿り気を帯びる。その湿り気が、恭司の心持ちから寒さを遠ざけた。

 隼太を殺さず殺させず。何とも難題だ。とは言え、隼太に関わると昔から関わる物事の難易度が桁違いに跳ね上がることも事実だった。あれは、そういう男だ。そしてそういう男を、切れないのが恭司だ。コトノハを処方する人間は、当たり前のように音に敏感だ。好きな音や嫌いな音が多くある。恭司は、楓の笑い声が好きで、泣き声は大嫌いだった。隼太の音に対する好悪は特にない。雲の重圧が人にのしかかるような天候の中、青年は愛する少女の為にひたすら脚を動かし続けた。闇を疾駆する獣となった。



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