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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第四章
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時の系譜

 風を愛していた。

 草木を揺らし、葉擦れを生み、頬をなぜる。


 独りではないと教えられているようで、独りでも生きていられた。




 楓




 立ち上がって駆け寄ろうとしたら腕を掴まれた。

 音ノ瀬大海に。

「磨理、」

「私は磨理さんではありません。行かせてください」

「逝かせない」

「――――大海さん。磨理さんは、もう」

「逝かせない。駄目だ、磨理。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ」


 駄目なんだと呻いて、大海は私の胸に頭を押しつけた。両腕を掴み。

 磨理の記憶より伸びた髪がすぐ目の前にある。

 磨理は大海が束ねた髪を見たことが無い。

 見る前に故人となった。


 逝ってしまったのだと。

 もう戻らないのだと。

 何万回唱えても、大海には届くまい。


 処方が至難であるコトノハは山とあるが、喪って世に絶望した人に掛けるコトノハは、その最たるものの一つだ。

 ぶかぶかの服を着た楓が応接間に踏み込み、走り、私に手を伸ばす。

 その一対のひとひらから、先に伸びる生の世界が見える。

 生きる熱と、可能性が。

 片や私の懐には、死の冷却に閉ざされた虚無が在る。

 先に伸びることのない世界で泣いている。


 ――――この両極端は何だ。

 人の世が、私のあちらとこちらに凝縮して展開している。

 光と闇が。


「ことさん」


 楓の瞳に怯えが見える。小さなひとひらは私のズボンの裾を掴んでいる。

 聡い子だから、大海の嘆きを察し、彼に遠慮しているのだ。

 聡い子だから、彼に同調しそうになる私を心配しているのだ。

 大海の丸めた背に両手を添えているから、私は私の涙を拭うことが出来ない。


「楓さん」


 それでも私は唇を動かした。

「迎えに来ました。帰りましょう。遅れて……辛い思いをさせましたね」


 濡れている楓の頬に、新しい涙が流れる。

 胸が痛い。

 しかし誰の為の痛みなのかは判然としない。

 楓なのか、大海なのか、磨理なのか、私自身なのか、或いは隼太なのか。


 呆然と立ち、こちらを見ている俊介がいる。


 彼もまた、光に在る者。

 佳きコトノハの世界の住人。

 その無事であることに安堵すると同時に、(きり)のような寂寞に私の胸は突かれた。

 俊介の眩しさは好ましくて、そして傷にひりひりと沁みる。


 聖はどこ?




 衣服に執着する男には見えなかった、と聖は思った。 

 階下に楓らを逃がして対峙する隼太の目は据わっている。


 雨に打たれた紫陽花を連想させるコートは、確かに美しい色合いだが。

 年季が入って随分古くも見える。

 隼太の怒りに、却って聖は冷静になった。

 捨てられない愛着心には人間味がある。

 何を失っても平然としているより、〝こちら側〟に呼び戻せる可能性がある。


 紫陽花の花言葉は移り気だったか、と記憶を探った。

 移ろえば良いのだ、人なのだから。

 移ろい惑い、答えを見つければ良い。


「君は若い」

愚弄(ぐろう)か。挑発か?」


 ぴぴ、と、透明の細かい礫が聖の身を数箇所、掠めた。

 しかし怒気にゆだり、冷静さを欠く幼さは持たないようだ。

 隼太の双眼は据わっているが、短気に走らず自分をコントロールする克己心を備えている。

 道を誤らなければ有望であろう彼の前途を、聖は惜しむ。


(ざん)

(さん)

(れつ)

(かい)。効かないよ。今日はコトノハ日和だしね」


 伸びた白髪をそよがせて聖が笑う。

 隼太が直接攻撃に転じないのは、聖の実力を見積もっているからだ。

 迂闊に仕掛ければ危ういと察する、つまりは隼太にもそれだけの格闘の心得があるのだ。


「……惜しむらくは君が、春も花も見ずに育ってしまったことだ」

「悠長な寝言だな」

「本音だよ。僕は自己中心的で危険思想の持ち主だ。君程の男が、こと様の助力となるなら、音ノ瀬の膿も掻き出せるのではないかと夢見るくらいにはね」


 呼気を吐いて、短く隼太が失笑した。


「お前の目、赤い硝子ではないようだ。しかしな、鬼兎。歴史に積まれた膿は、一個人の手に負える代物ではないぞ」

「うん。君の言う通りだ。負の遺産は…。時を掛け、緩々と解くしかないんだろう。春に雪が融けるまでを耐え忍び、咲く花を愛でるように」

「……貴様のコトノハは不快だ」

「君が今まで、そうしたものを一切、拒絶してきたからだろう。音ノ瀬隼太。それは、音ノ瀬隼人の亡霊による支配か?母の死による打撃か?父の狂気による浸食。それとも、その全てか?――――――――なぜ、君の目は硝子玉なんだ――――――――」


 慈しみも憐みも、隼太の不快を増すばかりだと解ってはいた。

 だが、聖は眉をひそめずにはいられなかった。


 命が何なのかを知りたかったと、動物の遺骸の真ん中で呟いた少年。


「否応なく巡るものが命だ。無慈悲に恵み、降り注ぐ陽が、君の知りたかった答えだ」

「俺に情を施そうとするな」

「嫌なら()退()ければ良い。敢然として。けれどこと様も君に同じようにするだろう。それ以外をあの方に期待するのは、無意味だ」

「まだ判るまい」

「判るよ。僕はずっと、こと様を見てきたから」



 恵まれ降り注がれたから。





挿絵(By みてみん)






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― 新着の感想 ―
[良い点] どこで何が壊れたのか、母が死んだ時か? 父が狂った時か? はたまた祖父の妄執故なのか? それとも音ノ瀬の歪みなのか? 聖が言うように負の遺産を解くのは難しい。けれど、それらがどんどん積み…
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