英国紳士の朝
アーサー・スミスの朝は一杯の紅茶から始まる。数日前まで祖国イギリスに帰っていた彼だが、今では日本に戻り、通常通りのかたたとらコーポレーション勤務を続けている。モノトーン、殺風景な中にも彼の洗練された美意識が窺える部屋の内装の中、悠然と長い脚を組んで紅茶を飲む彼は絵のように様になっていた。ティーカップを置いて赤い切子細工を見る。片桐から事の次第は聴いた。アーサーは、片桐の評価を上方修正した。洒落た勝負に出る心意気があるとは思っていなかったのだ。そして片桐の命はアーサーが預かった。
日本はようやく正月気分が抜けて稼働し始めたようだ。何とも気楽で平和なことだと考える。尤も水面下では血が流れているかもしれない。子供が泣いているかもしれない。老人が独りきりで死んでいるかもしれない。それが現実だ。にゃあ、と鳴いた細身の黒猫がアーサーの脚に身体を擦りつける。
「どうした、ホームズ。もう朝ご飯は食べただろう?」
ゴロゴロと咽喉を鳴らす愛猫の頭を撫でてやる。出勤まではまだ時間があるので、飼い猫を構う余裕もある。ホームズは好奇心旺盛な猫で、主人のアーサーが気に掛ける赤い切子細工を気にしている。一度はくわえてどこかに持って行こうとしたので、流石に慌てたアーサーがそれを阻止した。ほんの一瞬、どうでも良いかと考えたのは内緒である。片桐は堅田には劣るが、暗愚とまでは言えない。遊戯であっても彼に「死なれて」は、社の士気に影響する。ゆえに赤い切子細工は守られなくてはならない。紅茶を飲み終わると、室内の観葉植物に水を遣る。近所の神社では雪中の牡丹が見頃らしいから行ってみたい。もし〝偶然に〟接敵することがあれば戦う必要が生じる。仕方ない。仕方ないと思いながら、アーサーの唇は弧を描いていた。台所に立ち、スクランブルエッグを作りウィンナーを炒めてトーストを焼く。まだ出勤前なので、上着は羽織らず、シャツにネクタイ、ベスト姿だ。間違ってもそれらに油などがはねないよう、細心の注意を払う。牛乳を温める。レンジではなく、琺瑯の小鍋を使う。味がまるで違うのだ。出来上がった朝食をテーブルに着いて食べていると、ホームズがまたしても甘えて来た。食べたりないらしい。少しだけ、牛乳を小皿に移して床に置いてやると、赤い舌を出して飲み始めた。
ふ、と笑って食事を続けながら新聞を見る。暗いニュースが多いなと、醒めた思考で紙面を眺める。神はいない。アーサーはそう思っている。クリスマスに教会へ足を運びはするが、彼自身は無神論者だ。もし神がいるとすれば、それはきっと無邪気で残忍で恐ろしい存在だとアーサーは考える。食べ終えた後の食器を洗い、ジャケットを羽織り身だしなみをチェックすると、ホームズの頭を撫でて行って来るよと告げ、マンションのドアを閉めた。
手間ですが小鍋で温めた牛乳は美味しいです。




