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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
乱刃血縁編 第四章
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温情の海

 私は数回、深呼吸した。尤も逆さに宙吊りされているので、健やかな呼吸とは言い難い。白夕の足元、気づけば黒い階段が出来ている。彼はゆっくりその階段を上った。私の頬に白い指が添えられる。ひんやりとして冷たい指先。

「美しいですね。傷を負っても吊られても、尚、貴方は美しい。きっとその亡骸もまた等しく美しいのでしょう」

 白刃がいっそ愛おしむように、そっと私の首に当たる。その時、私は埒外な考えを抱いた。白夕を悲しい人だと思った。彼の抱く闇は、きっとさだめのそれよりもずっと深い。なればこその酔芙蓉。私の命を散らすことで、彼は救われるだろうか? いや、その程度では日照りに数滴の雫。到底、足りないのだろう。

 そうして私は無慈悲だから、数滴の雫さえ彼に与えることを惜しんだ。白刃が動く刹那。

温情(おんじょう)(うみ)

 コトノハを処方した。

 白夕が体勢を崩す。階段を上る途中であったさだめも同様に。私を縛めていた影が消え、黒い不気味な階段も消える。私は宙から地面へと何とか着地した。温情の海は武器を手にし、私に害意を持つ者にのみ服用される。加えて私が命の危機を切実に感じた時にしか処方は不可能。その内実は、服用した者に最も懐かしく慕わしい記憶を思い起させること。数秒は身動き出来ず、文字通り海のような温もりに心身を浸す。私は目を瞑る白夕とさだめを横目に背中の傷の痛みに喘ぐ。

「手出しされず助かりました」

 私に手を貸すでもなく前方に立つ人に声を掛ける。

「師匠」

 劉鳴殿がいることには試合の途中から気づいていた。静観には何かわけがあるのだろうと私はあえて見ない振りをした。劉鳴殿の気配の消し方は見事なもので、白夕でさえ気づいていなかった。緑のパーカー。ダメージジーンズ。赤い野球帽を被った劉鳴殿の双眸は赤なのに無色で、何を思うか知れない。

「なぜとどめを刺さないのですか?」

 声には厳しい詮議の色があった。

「裏は滅ぼすべしと、言った筈ですが」

「……彼らは今、無防備です」

「そうです。貴方の処方ゆえにです。その隙を突かずして何の剣客か。天響奥の韻流宗主の名折れでしょう」

「…………」

 歯を食い縛る。目の前が霞んできた。劉鳴殿ともう一人。滑り込んで来た人影がある。纏う色彩は劉鳴殿と同じ白と赤。遠のく意識の中で、彼が私を案じて焦っていることを察する。

「聖」

 言わなくては。そうでなければ白夕たちの命がない。

「聖、ころさ、ない、で」

 劉鳴殿から守って。

 その至難の懇願を口にしたところで、私の意識は途絶えた。



2評価、ブクマありがとうございます。

聖、大変ですね←他人事

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― 新着の感想 ―
[一言] 今まさに己の命を刈り取らんとする敵の命まで惜しむ。ことさんの貴い心の危うさが際立ちましたね。
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