二律背反
恭司は闇の中を疾駆していた。ずっと全力疾走していた為、息が切れて背中には汗が伝っている。はあ、はあ、と、自分のものでないような呼吸音が聴こえる。交通機関を利用しながら、駆けて駆けて、彼が辿り着いたのはこぢんまりとした民家だった。もう深夜だが、明かりが点っている。玄関前まで来て、荒い呼吸を落ち着ける。星も月も見えない夜が、恭司の心を表しているかのようだ。呼び鈴を鳴らすと、相手はすぐに出た。やはり室内でも紫陽花色のコートを纏っている。
「お前なら来ると思った」
「隼太」
言いたいこと、言うべきことはたくさんあった。なのに、いざ本人を目の前にするとそれらの言葉は咽喉の奥でつかえて出てこない。
「大海さんも一緒か」
「ああ。入れよ」
靴箱の上には埃もしていない。ここは隼太の隠れ家の一つで、定期的に中の清掃を人に頼んであるのだ。いつでも、例えばこんな緊急時であってもすぐ使えるように計らってある。玄関には小さな額縁が掛けてあった。今時分に相応しい、紅葉した山を描いた日本画だ。
その絵を見て、恭司の中で何かが音を立てて切れた。
「何で殺した!!」
隼太の襟首を掴んで壁に叩きつける。恭司を見返す隼太の目は冷徹だった。
「殺さなければ俺が殺されていた」
「違う。お前は最初から、かささぎさんを殺す積もりだった。彼の親友が死んだのは、お前からかささぎさんを守ったからだろう」
「そうだな。それで恭司。お前はどうする? お前は俺の拠点の全てではないがいくつかを知っている。今、ここに辿り着いているように。かささぎや音ノ瀬ことに話すか?」
淡々と話す隼太に対して、恭司は苦し気に双眸を細める。
「……大海さんと一緒に音ノ瀬本家に来てくれ。音ノ瀬ことは、かささぎさんに仇討ちを許してはいない」
「待つのはさしずめ地下牢での幽閉か。冗談ではないな。お前が真実、それを望むのなら力づくで俺たちを連行しろ」
「…………」
「出来ないだろうな。俺と大海相手では、天響奥の韻流の修行をしたお前でも、荷が勝ち過ぎる」
「隼太」
「帰れ。この場所を密告でも何でもすると良い。また俺たちは移動するだけだ」
「俺にお前を売れって言うのかよ」
「そうだ。お前の立場ならそうするのが正しい。今後も、音ノ瀬楓の隣にい続けたいのであれば」
恭司は隠刀を顕現させた。居合で隼太の首に白刃を押しつける。
けれどそこまでだった。俯く恭司の頭頂部を見遣りながら、隼太は刃を二本の指で挟み、静かに下ろした。
「帰れ」
再び告げた声は穏やかだった。恭司は黙って納刀し、踵を返した。帰りの足取りは重かった。汗が冷えて寒い。今、無性に楓の顔を見たいと思った。
評価、2ブクマありがとうございます。
恭司としては辛いところです。




