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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第四章
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コトノハ日和

 ゴブラン織りのカーテンから洩れる曙光が、俊介の(まな)(うら)までを微かに明らめた。

 蓄積された澱のような疲労が心身にまとわりついている。

 寒さに震えることさえ億劫だ。

 緊張感すらもが今ではなけなしで、夢現に、俊介は聖との会話を思い出していた。


〝最適解を導く方法?〟

〝はい。ソリティアの攻略法です。聖さんはどうしてあのゲームが簡単に解けるんですか?〟

〝似たような習性のゲームを前にもやったことがあるからね〟

〝経験だけで?〟

〝それと勘と、思考法の規則性、或いは戦術にも通じるんだよ。あんな遊戯は〟

〝思考法、戦術、ですか〟

〝俊介君も何回かやる内に、やってはいけない悪手(あくしゅ)に気付いただろう。すると今度は、やってはいけない悪手に見えて、それが活路を開く手段と悟る展開に至ったりもする。またはひどく迂遠な方法が、実は最適解への最短ルートだったりね。最適解に拘るばかりがゲームじゃない。最適解が出せない局面の時、それではどうすれば、最もましな結果を導き出せるか。思考することを投げずに、道筋を見極めるんだ。焦りや雑念は大敵だよ。ビー玉を真ん中に一つ残す。それが無理なら二つ。三つでも四つでも良い。落ち着いて、頭脳をフル回転させて、次善の手を打つ為に最大限の努力をするんだ〟


 聖の静かな教えは、探偵としての俊介にも頷けるものだった。

 人間である限り、いつも完璧な仕事など出来ない。

 現実を考えれば、次善の次善、くらいの成果が出せれば十分なくらいだろう。

 事務所を構えて依頼をこなす内、俊介にも理想と現実の折り合い、落とし所を把握し、依頼主に満足される報告をするまでの、一連の流れが身に付くようになった。


 そして探偵稼業は情報に始まり、情報に終わると言って過言でない。


 一つの事実を知るか知らないか、それだけの違いが人間の明暗を分けることもあると、俊介は骨の髄まで思い知らされてきた。

 今の自分は最適解からは遠い位置にある。

 だから次善の策を講じなくてはならない。

 楓だけでも逃がしたいが、山中、女の子の脚では厳しいだろう。下手をすれば遭難してしまう。

 俊介の予想通りであれば、恐らく、遠からず音ノ瀬の人間が救出に来る筈だ。


(……黙って待っている人じゃない)


 場所さえ判明すれば、こと自ら、楓を奪還しに来るだろう。

 俊介一人で楓を救出し、帰還すれば大いに面目躍如となるだろうが、その見通しは暗い。

 だが木偶の坊である自分にも、出来ることはある。

 いや、あるかもしれない為に努力を惜しんではならない。


 情報を集め、分析しろ。


 目を開けて、全体が朝に白んできた部屋を観察する。

 女性が使っていた部屋だろうことは、連行されてすぐに察した。

 今は楓が潜り込んで眠っているベッドの天蓋。壁紙やカーテン、絨毯の色柄。

 鈴蘭の形のシャンデリア。

 飴色の机の手前には、優美な曲線を描く脚の椅子が一脚。座面は真紅の天鵞絨(ビロード)張り。

 ベッドの横、窓際にあるサイドテーブルには、脚つきの丸い化粧鏡と、持ち手が艶やかに光るヘアブラシが置かれている。化粧鏡の脚は外国の神殿の柱のようで、鈍い金色といい、年代物と思われた。ふっくりと楕円形に膨らんだ木の支柱を持つ電気スタンドは、縒り合せた糸の細い房を何本も垂らした、絹と思しき布の傘を戴いている。元は淡い桃色だったらしい絹地は色褪せ、少し黄ばんでいた。


 不思議なのは、この部屋に一枚の写真も無いことだ。

 親しい人が使った部屋であれば、写真立ての一つも飾ってあって良いだろうに。

 おまけに、机横の壁紙の日焼けが奇妙だ。

 大小、丸、四角、様々な形に日焼けの浅い跡がある。

 額縁か何か、飾られていた物を撤去したのだろう。

 しかし、なぜ――――――――――――。

 するとそれまで、気にも留めなかった台詞が不意に浮かび上がった。


〝ここは彼女の大切な部屋なんだからね〟


 あの時。隼太に苦言を呈していた男の〝彼女〟とは、楓のことだと思い込んでいた。


(元々、この部屋の主人だった女性のことか?)


 ではその女性は今どこにいるのだろう。

 額縁はなぜ撤去されたのだろう。

 あの男と女性の関係は。


 頭痛がする。隼太に切られた額と顎の傷も痛み、集中を妨げようとする。


(……疑問点ばかりが増えるな)


 それでも思考することを投げずに、道筋を見極めろと神さびた少年は言った。

 自分の経験則に照らし合わせても正しいと思う人生の先達の言葉が、現在の俊介の道標(みちしるべ)だった。

 




 今朝は洗濯機を回さない。

 その代わりではないが、私は大根と豚肉を大鍋で茹でていた。

 羅臼昆布で出汁を取った汁に浸けておけば、今晩には旨味が鍋の中全体に沁み渡っているだろう。

 掻き玉汁と、白菜と林檎のマヨネーズ和えサラダ。


 これだけ準備しておけば、楓と俊介を迎え入れられるだろう。

 弱っている可能性のある胃袋を考慮しての献立だが、帰ってからお粥を作っても良い。


 帰ってから――――……。


「おはようございます」

 今日は少し寝坊だった聖の声に振り向く。

「おは――――どこの妖怪小僧ですか」

 彼の白髪が、寝癖のようにぴょこぴょこ跳ねていたのだ。

「どうもコトノハの処方日和みたいです……」

 聖が髪を触りながら答える。

 コトノハを処方する身体のバイオリズムが好調の時、聖の白髪はこうなる。

 これは姉である真葛も同様で、男の聖はともかく、女性の身には嘆きの種だったようだ。

「頼もしいですが。ヘアピンでも貸しましょうか?」

「いえ、結構です」

 軽く欠伸してるし、まるで頓着してない。敢えて聖のヘアピン姿を見たいとも思わない私はあっさり放置してその話題から離れ、浴槽を洗うよう聖に頼んだ。


 朝食を済ませてから、私と楓、聖はもちろん、他の人数分の布団を部屋と言う部屋に敷いておく。楓と、俊介が寝ることになるかもしれない布団だけは乾燥機を掛けておいた。


 客間の卓上に、紅葉した楓の盆栽を置き。

 それを覗き込んでいるような姿勢でテディベアを畳に座らせる。


 帰宅を想定しての出陣も一苦労だ。

 だが想定出来ないよりははるかに良い。


 迎えに来た秀一郎の車に私と聖は乗り込んだ。

 今日は朝からよく晴れていて、放射冷却で気温が下がっている。

 車内の暖房に保護されるまで、外気に白い塊を幾つも生んだ。


 秀一郎は聖を見ても、妖怪小僧と言わなかった。

「聖君。心強いね」

 ハンドルを握りながらそう評しただけ。大人め。

「高速を使います。渋滞や通行止めが無ければ、一時間で麓には着けるかと。その先は徒歩になる可能性が大きいです」

 それは私も聖も想定していたので、アウトドアに向いた服装をそれぞれしている。

 秀一郎も珍しく背広ではない。靴も皆、登山靴とまでは行かないが、長時間の散策に向いた物を選んで履いている。私は足を締め付けず、それでいて歩きやすいミドルブーツを選んだ。聖の背中にはペットボトルや、念の為の非常食等が入ったリュックがある。リュックから飛び出た木製の三十センチ物差しについては、私も秀一郎も用途を知っているので触れない。ちょっと変な奴に見えるのは確かだが。

「本格的な登山にはならないでしょう。あ、寝室の文机の、右側の引き出しに入れていますから」

「はい?」

「何をですか、御当主」

 私の唐突な発言にそれぞれ訊き返す。

「私に万一があった場合の一族の指針です。正式な遺言書まで書く時間がありませんでしたので、おおまかなところはそれに書いてある指示に従ってください」


 空気が滞留するように、重くなった。

 今更だな。

 本来であれば平時でも遺言書は準備しておけ、と家督を継ぐ時に父から言われていたのだが、無精が祟った。当主としては怠慢だ。


「そんなことを仰ると楓さんが泣きますよ」

「いやいや、死ぬ気は無いですけど」

 それこそ私の泣き所を突く秀一郎に対して、聖は無言だ。

 無言の妖怪小僧のほうが怖い……。


 そもそも、この二人を伴うことも迷ったのだ。

 音ノ瀬を担う次世代が育つまでには、まだ時間が掛かる。

 当代ではまだ、聖と秀一郎の存在が不可欠だ。

 特に副つ家の聖は畏怖と同時に崇拝の対象でもある。

 一族に当主不在の折りは、彼が精神的(せいしんてき)紐帯(ちゅうたい)となるのだ。

 これで三人一気に花屋敷で散ったら笑えない。

 ――――――――て、聖の白髪が!


「聖さん、髪が逆立っています。(やま)(あらし)ですか!」

 もしくは怒髪天を衝くか、パンク少年か。

「すみません、取り乱しました」

 浮き上がっていた白髪がふわふわと降りて行く。お前のバイオリズムは一体どうなっている。すると秀一郎が。

「無理も無いと思いますね」

 おっと?

 揃って反抗的な態度だな。

 私だって頑張っているというのに、男たちで結託されたようで面白くない。

 穏やかならぬ空気に満ちた車中。

 きっかり一時間、それは続いた。





挿絵(By みてみん)






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― 新着の感想 ―
[一言] 聖の髪は自由自在?Σ('◉⌓◉’) いよいよ出陣、という気合を一緒に入れていたのだけれども、妖怪小僧を想像し、さらに最後の方の文章で笑ってしまった。 もうことさんったら〜周りの緊張を解くの…
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