俺を選ばない君へ
楓は一番にことを選ぶだろうという確信が恭司にはあった。だから、その小さく重い封筒を手に、音ノ瀬家に向かう足取りも自然、鈍くなった。ことが聖と行くなら、楓も同行する。
南の、温暖な島で親子三人で暮らす。
そう悪くないことに思えた。かたたとらコーポレーションの一件が落着していれば。隼太は博愛精神で動く人間ではない。大方、音ノ瀬一族の中心となることたちを遠方に追い遣ることで、一族を思惑のままにしようとでも考えているのだろう。だが、それだけではない情も絡んでいるようだ。
雨上がりの空気は湿気を含み、尚、涼しさを湛えている。老人が散歩させている柴犬が恭司に尻尾を振ってじゃれついたので、恭司はその相手を少しだけしてやった。ガードレール沿いに歩きながら、恭司は考える。楓が南の島に行くのであれば、自分も追って行く。だが、そうなると隼太はどうなる。強くて独りのあの男。狂気を抱いた父親と二人、どうなるか解らない。誰かが、彼が暴走しないか見ている必要がある。その誰かを恭司は自分だと考えていた。
楓は恋しい。けれど隼太も置いて行けない。
「恭司君?」
近距離から声を掛けられるまで気づかなかった自分の不覚を恥じ、恭司は身構え、そして力を抜いた。秀一郎が、紙袋を携えて、いつもの白い三つ揃えを着て立っている。考え事をしている間に、いつの間にか恭司は音ノ瀬家近くの坂に差し掛かっていた。頭の中のカレンダーをめくり、今日は土曜日だったと思い出す。公務員の休日であり、秀一郎の経営する会社も休みだ。明眸皓歯の男は爽やかに笑った。
「どうした? 普段は注意深い君にしては、ぼうっとしていたね」
「考え事をしていた。あんたは?」
恭司がばつの悪さを誤魔化す意味合いも兼ねて秀一郎に尋ねると、秀一郎は、紙袋を掲げて見せた。
「良い日本酒が手に入ってね。それから白ワインと、河豚の干した物と」
「呑気だな」
ぴりぴりした恭司の言動に、秀一郎は肩を竦めて、二人並んで歩き出す。
「何かあったかい」
「何も」
航空券の入った封筒をジーンズのポケットに入れる。坂道の脇には赤と白の彼岸花が咲いていた。去年も咲いていたかどうか、記憶にない。秀一郎は、それ以上恭司を追及しなかった。実際は同年代の筈なのに、彼のほうが自分より大人だと恭司が感じるのはこんな時だ。
恭司は立ち止まった。
「恭司君。どうしたんだい」
ポケットから封筒を取り出して秀一郎に押し付けるように手渡す。小さな封筒はよれていた。
「これ。隼太から音ノ瀬ことに。南の島行きの航空券、三人分。明後日のフライトだ」
「……どういうことだい?」
「あんたから渡してくれ。俺には何が正しいのか解らない。けど、今は楓の顔をまともに見られそうにないから」
頼むよ、と小さく付け加えて、恭司は秀一郎から、音ノ瀬家から逃げるように駆け出した。
ブクマありがとうございます。
令和ちゃんの天候、いまいち読めません。
秋かと思えば夏日が続き。
お体ご自愛ください。




