白の理由
暮れなずむ刻限。人恋しさが募る時間帯。
白菜と大根がうちにやって来た。
間違えた。
白菜と大根を持った秀一郎がうちに来た。
秀一郎はどうでも良いが、二種の野菜はよく肥えて、受け取るとずしりと豊かな重みを腕まで伝え、ほくそ笑みたくなる。
白菜の煮浸し。大根と豚肉を茹でた物は自家製の柚子味噌と合う。無論、日本酒とも合うことは言うまでもないが、さておき。
楓に食べさせてやりたい。
その一念に尽きた。
心の声が聴こえた訳でもあるまいが、秀一郎がもたらしたものは季節の恵みだけでなく、朗報もであった。
「花屋敷の所在が知れました」
天高い秋の出番は終わったとばかりに、空の機嫌のじめつきが続くこの頃。
今年は暖冬になると言うが、それでも確実に凍てつきを予感させる冷えは肌に忍び寄り、忘れるなと囁くようだ。
私は洋服のブラウスの上から、秋冬の山野を思わせる、絞り模様が鮮やかな紺にエメラルドグリーンを溶け込ませた寒色の羽織を纏っている。樟脳と香の匂いが入り混じって、洋服を着ていても和装気分になる。
晴れやかさとは遠い空の下、重い荷を抱え、報告に出向いてくれた秀一郎には、梅昆布茶を出した。
黒い卓上に知り合いに貰った裂き織りの、こちらは春の野原を思わせる乙女なコースターを三枚敷き、厚くぽってりとした生成り色の、若手陶芸家の湯呑みを並べる。
礼を言ってから湯呑みを持つ秀一郎の表情は平生と変わらない。
白麻の背広も相変わらず。これが冬本番になると白カシミアになるのだ。
徹底している。
「花屋敷は隠れ山の一つにありました」
鼈甲ぶち眼鏡を、茶の湯気で曇らせながら秀一郎が報告を続ける。
――――隠れ山。
日本各地域に点在する音ノ瀬の管轄地。
ふるさと同様、一族の緊急時避難場所ともなる。
管轄地とは言うものの範囲は広大で、目が行き届いていない。
隼太の潜伏先としては盲点だった。
「では明日、僕と秀一郎君で出向くということで。よろしいですか、御当主」
聖は白シャツにアーガイルのカーディガン。
緑、青、赤、のアーガイルの柄を聖が着ると、童話めいた雰囲気が出る。
時計を持って走ってそうだ。
「愚問ですね、聖さん。私も行くに決まっているでしょう。楓さんは、……」
私の子だ、とは言い切れず、中途半端に言葉を切る。
「仰るとは思いましたが危険です。花屋敷が音ノ瀬隼太の拠点であると確定した訳ではありませんが。彼に同調する者が何人いるか、また、その力の程さえこちらは把握出来ていないのです」
秀一郎も聖の見解に頷いている。
お前たちなら危険性を冒して良いのか。
「言い方を変えます。私も行く。これ以上、異を唱えるコトノハは無用」
聖と秀一郎の面持ちが、複雑そうに、神妙に改まる。
本家に近い彼らにとって、音ノ瀬家当主の意向は絶対だ。
「……畏まりました」
そう言って平伏した白い頭と黒い頭に、ごめんね、と心の内だけで呟いた。
ごめんね。
我が儘を言ってすまない。
それでも私は楓を取り戻したい。
自分自身で、あの小さなひとひらを迎えに行ってあげたいのだ。
もう一度ひとひらの熱をこの手に感じたい。
どうしても。
暖色を部屋に投げ掛ける、美装のランプの水玉を秀一郎は見上げた。
聖の滞在する部屋。
夕飯を食べて行けと、ことに言われたあと。
「僕に話というのは何だい、聖君?」
その声が合図だったように、聖がそれまで座っていた出窓から畳に降り立つ。
正面から秀一郎の前に立ち、自分よりもやや高い目線に赤い瞳を合わせた。
「君が希望している、御当主の婿養子となる件だ。希望を取り下げてくれ」
「……副つ家としてのコトノハかい」
「いや」
「では」
「男として」
異なる色合いの視線同士が対峙する部屋に、温かな食べ物の匂いが漂ってくる。
夕飯の準備がもう始まっているらしい。
秀一郎は眼鏡を外した。
「じゃあ、僕も男として答えよう。希望は取り下げない」
「…………」
「不満かい?」
「いや、想定通りの返事だ。君が真摯で誠実な男だということを、僕は十分に知っている」
「にも関わらず、言うことを選んだ。参戦の意思が固まったというとこかな。出来れば君には、傍観する大人の役目に徹して欲しかったよ」
聖の赤い目が、秀一郎の裸眼を捉え、苦しそうに笑った。
懊悩の残滓がまだ口の端に見えるように。
「……諦め切れなかった。……無様と承知の上で……それでも、こと様に手を伸ばしたいんだ……」
現実と隔絶した世界。
そう言えば聴こえは良いが、要は大衆の流れとずれた空間である、ふるさと。
その守り人たる副つ家は、人にあって人にあらず。
深く関われば夢幻に喰われてしまうとも言われる。
聖は目の前の若者を眺める。
同性の目から、ことを想う身から総合評価して、秀一郎程に望ましい相手もいないだろう。人格も頭も優れ、現実社会と上手く折り合い、経済活動を円滑に営み、コトノハを処方する力も優れている。幼馴染でもあることの気質への理解もある。
容貌も見栄えがする。
白髪、赤目ではない、普通に世間に受け容れられて好まれる姿。
――――ことと並んで正々堂々と往来を歩ける。
きっとお似合いだと言われて。
「僕は君が羨ましかった」
聖は初めての本音を秀一郎に告げた。
秀一郎の裸眼が僅かに大きくなる。
「君は僕の欲しいものを、全て持っているから」
聖の悲しい微笑が、秀一郎には色んな意味で衝撃だった。
「……強欲だ、聖君。あれだけ――――あれだけ、ことさんに特別扱いされておきながら。僕が何度、彼女から〝ウサギさん〟の話を聴かされたと思う?子供の頃、夢見る眼差しでことさんは君を語った。繰り返し繰り返し――――だから僕は」
浴室のほうから水音が聴こえる。
ことが浴槽を洗っているのだろう。水音は空気を伝いよく響く。
非常時にも連綿と営まれることの日常が、嗅覚に聴覚に入ってくる。
それらを感じながら、暖色の雪景色に二人の男は向かい合う。
赤い目は秀一郎に据えられたまま逸らされない。
「白い色を着るようになったのも。君に近く見られるんじゃないかという、滑稽で陳腐な理由からだ。子供じみて莫迦げた思考でも、そうせずにはいられなかった。君のほうだ。君のほうが、僕の欲しいものを全て持っているんだよ。僕がどんな社会的評価を得ようと埋まらない」
聖も虚を突かれた顔になっていた。
鏡や、木霊のように。
互いに羨望の姿を見て、跳ね返る声を聴いている。
「――――君とここまで見解が喰い違う日が来るとは思わなかった」
「僕もだよ、聖君」
「そうまで考えてくれるなら。身を引いてはくれないかい」
「愚問だね、聖君」
にやりと挑発的な笑みが返る。いつもの秀一郎らしい。
「へえ」
なぜか楽しい。
対決している構図の筈なのに。
聖はそれまでよりも秀一郎に友情を感じていた。
昔はよくことに泣かされていた子供だったのに、見事な成長を遂げた。
秀一郎の存在は、聖とことを徹底して孤独にしなかった要因の一つだ。
若い命に、胸中だけで礼を言った。




