私のウサギさん
番外編です。
11月23日の日に絡めて。
二年一組音ノ瀬こと
私は、一人っ子です。兄弟も姉妹もいません。
でも、お兄さんのように思っている人はいます。
いつも、お父さん、お母さんと行く、ふるさとに住んでいる人です。
かみが雪みたいに真っ白で、目はルビーみたいに赤くてきれいです。
アルビノという体質だからだと教えてくれました。
だから私は、お兄さんのことをウサギさん、と呼んでいます。
私のウサギさんは、とっても優しいです。
私のことをお姫様と呼んだりしてくれます。
少し照れくさいです。
ウサギさんはお寺に住んでいます。
ふるさとは、とってもふしぎなところ。
竹林に囲まれて、いつ行っても変わりません。
けれど四季ははっきりしています。
春には桜が咲いて、私はウサギさんと木登りします。
ウサギさんが絶対、私を落とさないように、気をつけているのが分かります。
花の中にいると、真っ白なかみのウサギさんは、うもれてしまいそうです。
時々、不安になって手をのばすと、危なくないようにつかんでくれます。
前は、ひざに乗せたりしてくれていたのに、最近は乗せてくれません。
いつもささ舟を作って流す川で、夏には水遊びします。
今年の夏、遊んだ時、ウサギさんはちょっとこまった顔をしていたけど。
どうしてなのかは分かりません。
ウサギさんは見た目よりも大人なのだ、とお父さんが言っていました。
私は大人をよくこまらせるので、ウサギさんもこまらせてしまったのでしょうか。
聞いても絶対、そんなことはないって言うのだろうけれど。
秋になると銀色のススキ野原を歩いて、もみじ狩りをしたりします。赤い葉っぱはきれいだけど、ウサギさんの目のほうがきれいで優しいと私は思います。
冬は、白と銀の、雪の中で遊びます。
雪の中にいると、ウサギさんは本当に雪ウサギさんみたいです。
そう伝えて、きれいって言うと、ウサギさんはまたちょっと、考える顔をするんです。
こまっているのかなと思います。
私がウサギさんにこまらされたことは一度もないけれど、ウサギさんは、そうじゃないみたいです。
片方がこまって、片方がこまらない関係は良くないのだ、とお母さんたちは言います。
私とウサギさんの関係は、良くないものなのでしょうか。
大好きなお兄さんをこまらせないですむ方法を、ずっと考えています。
その作文を書いて二年程経った頃、私は一人でふるさとへの道を急いでいた。
秋の夕暮。
ラヴェンダー色と薄墨色が混ざり合う、渋くて美しい空模様。
だがそれを見る余裕とて無く。
正確な道のりなど知らないのに、聖に逢いたくて、いや、逃げ込みたくて必死に走り、気付けば竹林まで来ていた。
「ウサギさん!ウサギさん!」
悲鳴のように呼びながら駆けていると、風の知らせか、正面から急いで走って来る聖の姿が見えた。
「どうされました、こと様」
「…………」
差し伸べられた両腕に縋りついて、私は声を出せずに震えていた。
不穏な気配を察したのか、聖は跪いて私を包み込んだ。
両親と体温の触れ合いの少ない私は、聖に頭を撫でられたり抱き上げられたりすることで、心の飢えをしのげるようになった。困った顔を多く見るようになって以来、抱擁などはされなくなっていたから、それは久々の温もりで、恐慌状態にあった私の心を鎮めたが、涙はこぼしてしまった。
温もりによる安堵が、忍耐に凍ろうとする心を溶かしたのだ。
「悲しいことがおありでしたか」
「……」
私は微かに顎を引いた。
奥歯を噛み締めても熱い雫が頬を伝う。拭ってくれる大きな手。
掌の、豆が潰れた跡の、がさついた箇所で触れないように注意を払いながら。
他に誰がこんなことをしてくれるだろう。
「怯えておられますね。…それは、怖くもありましたか?」
「――――うん」
か細い声で答えた。
聴覚が優れ風とも馴染む聖は、私の声を誰より拾ってくれる。
私は聖の首に更にかじりついた。
「僕に教えていただけますか。出来る範囲で構いません」
私の身体の強張りが伝わったのだろう。
聖の手が、強張りを解すように背中をゆっくりさすってくれる。
竹林もさわさわと鳴る。
歌声で私を慰撫するように。
「鳩の首が道に落ちてたの」
私は逃げるように一息で告げた。
すぱりと切断されたそれは、獣の仕業には見えなかった。
鳥特有の目が、もう生気の無い目が、私を見上げていた。
恐ろしかった。
そんな意味の言葉をぼそぼそと続けても、聖は動じなかった。
ただ、彼の纏う空気がぐっと深まったように感じた。
浮かび上がろうとする何かを水底に沈めるように。
「……解りました。もう大丈夫ですよ。何も怖いことは無いですからね」
「ウサギさん、どうして?どうして、――――落ちてたの?」
私は同じ単語を繰り返したくなかった。
「人の世だからです」
正鵠を射た聖の簡潔な答えは、しかし当時の私を納得させなかった。
「どうして?」
私はむずがるようにまた言った。
まるで通り掛かった人間の全てを不幸にしたがるかのような行為の、動機が私には理解出来なかったのだ。
「聴こえなかったけど、嫌なコトノハの滓みたいのが、そのあたりにまだ残ってるみたいだった。気持ち悪くて、あんな、あんなの――――」
「君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く」
聖がコトノハを処方した瞬間、身体に優しい焔が灯されたように、それまでよりずっと、熱いくらいに温かくなる劇的な変化が起こった。
目の当りにした人の非道の醜悪を燃やし、押し遣るような焔だった。
魔法のようなコトノハ。
血の気の引いていた身体の中が、健全に巡り始める。
とくとくとく、と。
「ウサギさん。今の歌、どんな意味?」
「貴方を想って待っていると、僕の家の簾を動かして秋風が吹き込みました」
包まれたままの身体に納まる、小さな心臓がとくんと跳ねた。
「そんな意味です。女性の歌らしいのですが、僕の心情にも当てはまります」
「……待っててくれたの?」
「はい。こと様が来てくださらないものかと。待っていたら、風が走る貴方を知らせ、こうして来てくださいました」
どうして待っていたの?
困らせていたのではなかったのだろうか。
子供の相手で、疲れていたのでは。
「…………」
想う。
私の耳はちゃんとそのコトノハを捉えた。
思う、とは違う意味だと解らない程、私は子供ではなかった。
好き、の一段階は上の言葉だ。
けれど聖は大人だ。子供の私には十分、大人に見えるのに、その外見以上に大人だと父も言っていた。
子供にとって親は大人の王様だ。少なくともうちはそうだった。
王様が大人だと言う人が、子供に恋愛感情を抱くだろうか。
私は顔が火照り、混乱して、手を突っ張った。
縛めという言葉にも当たらない抱擁はあっさり解ける。
それから聖の寂しいような悲しいような表情を真正面から見て、私は狼狽えた。
そんな顔見たくない。
「こと様。僕が良いと申し上げるまで、その場所には近寄らないようにしてください。あとで浄めに参りますので」
どうしようどうしよう、と思っている内に、聖が話を進めた。私の混乱を見兼ねたのだろう。
駄目だ、と思った。
この人は大人だから自分の気持ちを覆い隠して、私の真意を確認しないまま引き下がってしまう、と。
副つ家としての立場だけで接するようになられたらどうしよう――――。
まだ近くにある聖の左頬を、私は思い切って小鳥のように軽く啄んだ。
今考えても、私としては勇気を奮ったものだったと思う。
真ん丸になった赤い瞳。私の大好きな色。
「……いつ見きとてか 恋しかるらむ」
音ノ瀬の子供であれば、百人一首くらい全て暗記している。
その中で一番、今の自分に気持ちの近い歌の下の句を選んで私は告げた。
いつ見初めた――――好きになったという記憶もないのに恋しいのはなぜ、という意味だ。
聖が知らない筈はない。
「だから、離れないで。私のウサギさん」
赤い瞳はまだ真ん丸で、こぼれ落ちそうだ。
それから聖は仄かに赤面して、ぎ、ぎ、と音が聴こえそうな風に視線と顔を背けた。
顔を背け。じ、と黙って。
こちらに向き直った時の聖は、弾けるような笑顔だった。
見かけ相応の少年らしく。
「……有り難きコトノハ、頂戴しました。僕のお姫様」
恭しくこうべを垂れて隠れた笑顔を私は惜しんだ。
笑ってくれて良かった、とも思った。
同時に聖は「お兄さん」ではなくなった。
その日から、お兄さんの代わりに、私は密かに恋心と白兎を胸に置くことになる。
家族の誰にも言わず、秘密にした。
そのほうが良い気がしたし、聖もそう考えているようだった。
本家と副つ家の婚姻は忌まれるものではないが、家族は私が副つ家に深入りすることを好まなかった。
あれは正しくは人であって人ではない。異なる世界の生き物だからと。
副つ家の、音ノ瀬家以外との結婚が、異類婚とさえ囁かれると私が知るのは、もっと成長してから。聖の姉・真葛の、道ならぬ恋を知ってからのことになる。
だがその、家族に言わせれば異種族である聖こそが、最も私の胸の内を理解してくれたのだ。人よりも。
独りと独りで、確かに二人でいられたのだ。
僕のお姫様という、人が聴けば歯が浮くと言って笑うようなコトノハが処方されたのは、その一度きりだ。




