柘植櫛
劉鳴殿が去り、食器洗いを終えた聖が縁側に来た。丁度、劉鳴殿が座っていたところに座る。
「劉鳴殿と何を話しておいででしたか」
「これです」
私は聖に、祖母の書いた和歌の上の句を見せた。聖がそれを見る目の色は深く、ああ、知っているのだなと私は察する。聖は丁寧な手つきで私に和紙を返した。白い兎を思わせる風貌に翳りが滲む。赤い瞳が何を憂いているのか、私は知らない。聖は何にも言及せず、私は追及しなかった。秋風がそうさせた。
「髪……。ほどいても?」
「ええ」
聖が私の長い三つ編みを結んでいた組紐をほどく。さらさらと髪が落ちる。
「少しお待ちください」
そう言うと聖は席を外し、椿油の入った硝子瓶と柘植の櫛を持ってきた。柘植の櫛は黒と金と紫の、美麗な西陣織の櫛入れに納まっている。すうー、と櫛で髪を梳かれる。髪は引っ掛かることなく滑らかに櫛の動きに添う。京都の有名な和装小物で知られた店で買った柘植の櫛は、数か月に一度、椿油に浸して手入れする。それを続けていると年月を経てとろりとした美しい飴色に変化する。西陣織の入れ物も、同じ店で買った物で、もう二代目だ。
すいすいと髪が梳かれるのは心地好い。
聖の、髪を梳く手が止まる。
一房、髪を掬い、愛おし気に撫でる。唇を寄せられた時は、不覚にも鼓動が跳ねた。
「……聖さん」
「劉鳴殿は、早く再婚すれば良いと思います」
その言葉の指すところに思い当たった私は、思わず破顔した。
「妬いていますか」
「そうですね」
聖は物憂い溜息を吐き、また手櫛で私の髪を梳いた。さらさらと零れ落ちる髪の毛は細い滝の流れを連想させる。
何度も、何度も手櫛で梳かれる。柘植の櫛よりも陶然となる。時折、まとめられ、また下ろされる。私の髪は生き物のようになり、聖に懐いていた。
「僕は、不敬を承知で言えば、早耶様が好きでした」
この告白をどう受け取れば良いのか。聖の声は淡々としている。
「こと様を一番、大切にしてくださっていると思ったからです」
聖の判断基準は飽くまで私らしい。けれど、と聖は言い指す。
「その和紙の所以を知った時、裏切られたような気にもなったのです」
「……」
聖がさらさらと私の髪を扱ったあと、椿油をごく薄く掌に塗り、それを万遍なく私の髪に沁み込ませる。それからまた一通り、櫛で梳いて緩く一つに縛る。
「僕は、不敬を承知で言えば、先代当主が嫌いでした」
なぜと尋ねることは憚られた。訊くまでもないようにも思えた。聖は柘植櫛を西陣織に納めると、それ以上は何を言うでもなく隣にいた。私にとっては有難い沈黙だった。
ブクマありがとうございます。
寒くなってきました。シャワーだけでは辛い季節。
ゆっくり湯舟に浸かりたい今日この頃です。




