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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
乱刃血縁編 第一章
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逃げる石鹸

 風は静かで、私に何も伝えなかった。

 だから、楓と恭司が連れ立って来た時、恭司の負傷を見てやや狼狽えた。

「さだめさんですか。白夕さんですか」

「さだめだ。架橋さだめの、ほう」

 苦痛そうだったので、とにかく客間に迎え入れる。聖は既に私の横にいる。撫子と芳江も傍に。聖の、処方を強める力が発揮される。

()

 左手の甲は、黒く膿んでいたが、コトノハにより治癒出来た。リーンと釣忍が鳴る。私は、恭司と楓の話を聴きながら、二人の身体をざっと一瞥した。他に怪我はない。何よりだ。

「やれやれ、間に合わなかった」

「うわあ!」

 いつの間にか劉鳴殿が客間に上がり込んでいた。うちの防犯体制はザルか。

「僕が仕合えれば良かったんですけどねえ。まあ、今夜は親子丼でも食べますか」

「緊張感が無さ過ぎますよ。師匠」

「何を仰るか、ことさん。人の食は大事なのですよ。生命の根幹を司るのですから。鶏肉と卵が安かったんですよ」

「会話の振り幅を抑えろとんちき師匠」

「こと様」

「じゃあ、台所お借りしますね~。聖君もほら、手伝って。撫子さんたちも」

 台所にカルガモの親子よろしく、劉鳴殿を先頭にぞろぞろ去ってゆく。私と楓と恭司の三人にしてくれたのだ。恭司は要らんけど。楓をぎゅっと抱き締める。

「無事で良かった……」

「恭司君が守ってくれたから」

「ありがとうございます、恭司さん」

「いや。楓のコトノハにも助けられた」

 丁度、風呂の湧いた時間帯だ。私は楓を連れて浴室に向かった。恭司は台所に駆り出されているだろう。

 浴室で、楓が石鹸を取り損ねた。取ろうとしても、石鹸は生ある者のようにつるりつるりと滑る。

「あ、あれ、おかしいな……」

 楓の手が小刻みに震えている。さだめと遭遇した恐怖がまだ残っているのだ。私は楓をまたも抱擁した。年若い少女の肌は水蜜桃のようで、弾力があり湯を弾く。ぴとりと、楓も身体を私にくっつけた。それから、こんなんじゃ駄目なのに、と言う。小さな呟きだった。

「楓さんはよくやりましたよ。恭司さんの助けになりました」

「ことさん。私、怖くて。でも、そんなの、良くないから」

 震えるか細い声。何を良くないことがあろうか。

「人ならば恐怖するのは当然です。自然本能なのです」

 私は、少し身を離して楓の両頬を掌で包んだ。瞳が潤んでいる。

「生きていてくれてありがとう。無事でいてくれて感謝します」

「……それだけで良いの?」

「他に何も望みませんよ。欲を言えば幸せでいて欲しい」

 目を細める。

 楓が、またぎゅうっと私にしがみついた。

「ことさんが、幸せだと私も幸せ」

「おや。両想いですね」

 見たか恭司。いや、見ている筈もないし、よしんば見ていたとしたら逆さ吊りの刑だけど。

 それでも楓。

 いつか貴方はあの若者の元に行くのだろう。私は、少しの寂しさと感慨を以てそれを見送るだろう。隣には聖がいて。そんな未来が来るよう、私は強く祈った。



評価、ブクマありがとうございます。

14日から17日まで留守にします。

可能な限り開店するのでよろしくお願いいたします。

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