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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第三章
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身を尽くし

 花屋敷二階の一室。花の香りは屋敷中に充満し、窓が閉まっていても漂い届く。

 時々、クラシック音楽も聴こえる。

 古風な天蓋つきのベッドに楓は座り込んでいた。

 体操座りをして腕組みし、顔を伏せ。


 ことが、心配している。


 紫陽花色のコートを着た男にこの家に連れて来られて以来、楓はそう思って悲しかった。

 恐怖よりもそちらが先立った。

 ことは自分の生みの親や伯父たちとは違う。

 楓が苦しかったり辛かったりすると、それを嘆いてくれる。何とかしようとして頑張ってくれる人だ。

 楓はまだ幼いが、大人が子供の感情に寄り添うことが普通な世の中ではないと知っている。ここは厳しい世界で大人たちはすることが多くて、眉を吊り上げてせかせか動き、楓が伸ばした手も振り払う。楓は振り払われるのを恐れ、いつからか手を伸ばさなくなった。忌々しい目で見られるのは、身を切られるように辛い。

 それが楓の近くにいた「大人」という生き物だった。

 その意味では、ことは楓にとって「大人」ではなかった。

 お金に困っていないから、優しくする余裕を持っている訳ではない。

 そういう問題の人ではない。

 子供はそこを嗅ぎ分ける嗅覚に優れていて、楓は特にそうだ。

(ことさんは、すごく辛くたって、あたしのことを好きで、忘れないでいてくれる)

 だから、ことはきっと今、自分を心配して元気を無くしている。

 この状況は怖いけれど、暴力は振るわれないし食事も出される。

 二日に一度はお風呂にも入れる。新しい下着や、ぶかぶかだが着替えも与えられる。


 ことにそれを伝えられれば、少しは安心してくれるだろうに。


(ことさん。ことさん)


 張り出し窓はきっちり施錠され、楓が触ってもコトノハを発してもびくともしない。温かな色合いの、厚くて上等そうなカーテンは自由に開け閉め出来て、階下の花を見下ろせるのに。ドアには鍵は掛かっていないが、一階には必ず誰かがいる。特に、紫陽花色のコートの男は階段真横の応接間にいることが多い。

 ロープで両手を縛られている俊介を自由にしたくても、頑として解けない。

 洗練された結び目からして、これはきっとそういうのに慣れた人の仕業なのだろうと楓にも見当がついた。大の男だからか、俊介は男たちに楓よりも警戒されているようだ。楓以上に不自由な状況で、しかし彼は楓を元気づけようと度々、話しかけてくれる。

 良いお兄ちゃんだなあ、と楓は場違いな感想を抱いた。

 ことを好いているようだから、報われると良いなと思うけど、楓はことが選ぶのなら誰でも構わない。「ダメな男」ではあって欲しくないけれど。

 どうしてだか、何となく、相手は聖のような気がして。

 俊介や秀一郎はちょっと可哀そうかもしれない。


(このおうち、コトノハが強い……)


 伏せていた顔を上げ、小さな鈴蘭の形が連なった、曇り硝子のシャンデリアを見る。

 家や庭の全体がコトノハに満ち、縛り呪われてでもいるかのようだ。

 歪み軋んだコトノハの産物である不自然に咲く花々は、楓を奇妙な気分にさせた。

 奇妙。

 この家、花屋敷と呼ばれるこの家は、奇妙なお化け屋敷みたいだ。

 花の香りも空気も響く音も狂っている。

 

 優しいことの家が恋しい。

 ことの腕の中が、膝の上が恋しい。

 昨日から、うちの中で烏の大きな鳴き声が聴こえるのも、不気味で怖い。



  


 真葛は家に帰った。

 正確に言うなら、帰らせた。

 駆けつけてくれたのは有り難かったが、彼女はもう音ノ瀬の人間ではない。

 真葛を沢口家に嫁がせると強硬に決めた時、多分私には、自分に叶えられない幸せというものを彼女に仮託する思いがあった。そして真葛は幸せそうで、それで良い。

「聖さんがいますから」

 玄関先でそう言うと、真葛は、ここから見えない聖のいる客間を見るように視線を遠くに投げ、こちらに戻した。瞼を半ば閉ざし、下を向いて。聖と同じ白い睫の庇。

「……………莫迦な子」

 粉糠雨のように柔らかく、ほつり、と呟きを落とした。




 真葛が私と聖のことをどう思っているか知らない。

 怖くて訊いたこともない。

 聖は私に関わらなければ、もっと楽に生きられたのではないかと。

 自分の中でその可能性が打ち消せないからだ。

 黄昏の薄闇を去りゆく真葛の長い白髪は光って見えた。

 私には遠い世界の光のように思えた。



 暮れると聖が電気を点ける。

 誰かが明かりを灯さなければ家は暗いまま。

 両親が消えてから、私はその事実を思い知らされた。

 外が闇に沈めば屋内が明かりに浮く。

 それを至極当然のことと考えていた。

 実際は違う。

 人が動かなければ闇のままなのだと気付いた。

 家の随所に心配り動く労に気付いた。

 夏から秋に移ろう季節のことだった。

 待てど暮らせど帰らぬ両親。

 不安と焦燥が私の中で膨らんでいった。

 聖はそんな私をずっと見ていた。

 ふと我に返れば闇の中。

 電気も点けない部屋に座り込む私は、到底、当主らしからぬ有り様だったであろう。

 見兼ねたのか、夕暮れの頃には聖が家中の電気を点けて回るようになった。

〝電気代を無駄にしないでください〟

 そう言ったらどうしてだか泣きそうな顔をされた。いつも涼しい顔の聖が、あの期間は表情をよく動かした。記憶にあるのは悲しそうな顔が多い。好い歳なのに。


 ああ、もうこれは駄目だ。

 もう、両親は戻らない――――――――。


 ようやく、そう悟るようになった時、堪え切れずに聖の胸で泣いた。

 ごめんねと思いながら。


〝聖、聖、戻らないよ……。お父さんもお母さんも、帰って来ないよ〟

〝こと様〟

〝聖。私は一人になってしまった〟

〝…………〟

〝ごめんね〟

〝なぜ、〟

〝ごめんね、聖〟

 

 こんな悲しい結末に、貴方を巻き込む積りはなかった。

 謝罪への返事は無くて固い腕だった。


 自分で必要な場所の電気を点けたり障子を開け閉めしたり。

 一人に慣れるまでのリハビリはしばらく続いた。

 不思議なことに他の家事はそれまで通りに出来たし、そこは聖と先を争うくらいだった。

 ただ食欲は失せてだいぶ痩せた。食べることが苦痛だったのだ。

 聖や秀一郎や、当時はまだ身辺も落ち着いていなかった真葛らが心配するので、無理にでも食べるようにと努力した。

 また、独りになってしまったのだという事実を受け容れる覚悟が固まるまで、私には時間が必要だった。


 もしも聖が両親に伴い、彼まで姿を消していたなら。

 私は闇中に浮かび上がれぬ澪標(みおつくし)となっていたかもしれない。

 今、聖はいるけれど。

 楓が戻らなければ、やはり私は澪標となるのかもしれない。





挿絵(By みてみん)







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