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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第三章
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女神の階梯

 聖は消えなかった。

 門の外に出て傘を差し、私たちの帰りを待っていた。

 考えてみれば当たり前のことだ。

 楓と俊介が戻った様子も無い。

 考えなくても当たり前のことだ。

 だから私と真葛は彼にただいまと声を掛けた。

 当たり前でも私たちには大切なコトノハだった。

 散策して温もった私の右手に閉じ込めていた物を、家に入ってから聖に出させた掌に乗せた。

 ころころと転がった黒い艶のある楕円形は、熟したオリーブの実だ。

 握り締めていたので私の体温が移っているであろうそれらが、聖の固い掌に納まる。

 聖も秀一郎も掌の皮膚が厚い。そんな風に自分を鍛えて生きてきた男たちだからだ。

 人の生き方は随所に現れるが、手はその顕著な一端だろう。

「お土産です」

「ありがとうございます。オリーブの街路樹などありましたか?」

「そんなに垢抜けた町じゃありません。民家の植木ですよ」

「……余所のお宅の」

 赤い目に軽く浮かぶ、咎める色。

 私は常識と信じる持論を述べた。

「塀からこちらは皆の物です」

「…………」

 おかしいな。

 食べ物を手土産にされると嬉しくないだろうか。

 私などは随分、それでほだされてしまうのだが。

 酒か? もしかしてオリーブを肴に白ワインを飲みたいと考えているのかもしれない。

「まだ日は高いですからね」

 聖にそう釘を刺し、部屋に引き揚げる。

 靄のように細かい雨だった。傘を差していても身体、髪、衣服の全体が水分を吸ってしっとり重く、滲むように膨張している気がする。

 そんな些末事に意識を逸らしていた私は、真葛がこぼした微苦笑も、聖がオリーブの実に当てた白い歯も見なかった。


 

 オリーブの実は渋くて灰汁(あく)が強かった。

 しかも洗わずその場で齧って見せたのに、肝心のことはさっさと引っ込んでしまう。

 聖は顔を渋面にしながら、何とか口に含んだ一欠けを飲み下した。

 嚥下すると同時に水を求めて流しに向かうと、用意良く、真葛が水の入ったコップを差し出してくれた。一気に飲み干して息を吐く。

 だがそんな聖に姉が下した一言は。

「有り難い物を頂戴したわね」

 からかい混じり、労い混じりのコトノハだった。

「こと様のお土産は昔から、一般の観念とずれておられるんだ」

「それを大切に取って秀一郎さんにも譲らない貴方が言うの?説得力ね」

 聖が軽く睨んでみせても、後ろで手を組み流しに寄り掛かった真葛にはどこ吹く風だ。

「聖は昔から大人振ってるけど、独占欲は強かったわよね。私が外に馴染んでるのを良いことに、御本家の皆様がいらっしゃる時はいつも自分が姫様の相手を買って出て。お父さんたちは良い心掛けだと褒めてたけど、私は内心呆れていたわ――――」

「こと様にオリーブは、嵌まり過ぎだよ」

 真葛のお喋りを聖が穏やかに遮る。

 内心で姉に向けて肩を竦める弟の姿を見たようで、真葛は話に合わせてやった。

「アテナ?」

 真葛も連想しないではなかった。

「うん。オリーブは知恵と芸術、そして戦いの女神でもあるアテナを象徴する植物だ」

「……そうやって、周囲がこと様に鎧を纏わせてゆく。聖。貴方はその輪から外れなさい。貴方だけは、例外であって差し上げなさい」

 真葛が白いかぶりを緩々と振る。

 客観的な苦言を口に出来る自分の立場に感謝しながら。

「ああ――――悪癖だね。副つ家に育った身が、こんな時は恨めしいよ」

 恨みながら、副つ家に生まれたからこそ、ことに近侍が叶ったのも事実だ。

 音ノ瀬であれば大なり小なり、聖のような思考の倣いの弊害は生まれる。

 音ノ瀬一族には今でも当主を現人神(あらひとがみ)と見なす人間がいる。

 真葛にとっても笑い飛ばせる泣き言ではない。

 台所から見渡せる客間の向こう。

 雲が晴れ、湿った庭に降りる細い光の階梯(かいてい)を眺め遣る。

 この家であれば。

 何かが来臨することも有り得るのではないかと、真葛でさえ考える。

 縁側にぽつねんと置かれた楓の盆栽がある。

 楓が消えてから、ことが庭に置かれていたのを見つけ出して回収したのだ。

 せめてそれだけは保護しようとするかのように。

 現人神の御業(みわざ)としては切なくなるささやかさだ。


「アテナは処女神でもあったわね……」


 姉の視線を追った聖は同じ物に行き着いた。

 赤い目に白髪の、相似形のような姉弟は時を忘れて小さな楓を見ていた。

 もう間も無く紅葉しそうなあどけない樹に、階梯が届こうとしている。


 階梯を伝い降り立つ神がいるならば。

 逆に挑む顔つきで登る神もいるだろうか?

 安住を求めてではなく…。





挿絵(By みてみん)





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