表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第三章
49/817

母子

 子供の頃、たくさんの昔話を祖母から聴いた。

 私の情操教育を兼ね、コトノハ採集させようという教育の一環だったのだろう。

 中には幼心にも忘れ難い話があった。


 娘を人柱に奪われた母親の悲話だ。


 築城の為であったか、川に橋を架ける為であったか、そこは憶えていない。

 いっかな上手く進まぬ事業にしびれを切らした土地の領主が、若い娘を無理矢理、人柱にしようと拉致した。

 領主の耳に届くような、器量と気立ての持ち主だったのだろう。

 母の嘆願も虚しく、娘は人柱に――――生贄にされてしまう。


 母親は呪った。

 領主を呪って呪って。

 ある渺渺(びょうびょう)とした平原の、手に触れる草から片っ端に引き抜き続けた。

 呪詛の言葉を吐きながら。

 草で切った母親の手で、平原は赤く染まった。


 その話を耳にした領主は母の呪いを恐れ、人柱にした娘を祀る祠を建てさせたという。

 話はそれで仕舞いだ。

 祠を建てたところで娘が生き返る筈もなく、母の嘆きが癒える筈もない。

 不思議なことにこの話に父親は登場しなかった。

 母一人子一人であったのか。

 であれば尚更に、嘆きも恨みもいや勝ったことだろう。


〝呪詛のコトノハなど、間違えても処方するのではないよ。こと。けれど…〟


 祖母の眉が苦しげに歪んだ。


〝たかだか祠一つで。子を奪われた母親の恨みが晴れるものか〟


 いつもは淡々と語り終える祖母が、珍しく感情的な口調で呻いたことを憶えている。

 三人の子を産んだ祖母だが、娘と息子を一人ずつ戦争で亡くしていた。


 あの、暗くて怖いトンネルのようにも感じた昔話に、今なら我が事のように寄り添ってしまえる私がいる。


 


 秋雨がまだ粘っている。

 太陽の休息期間か。それも良いだろう。

 車から降りた彼女は傘を差し、駐車場の砂利を藤色のスエードのパンプスで歩み出した。

 後ろでまとめた長い白髪が尻尾のように軽く揺れる。

 長い坂道を登ると、ことの家が見えてくる。

 本家だから、だろうか。

 外観に変わらない印象を抱くのは。

 痩せた桜も紅葉を始めている。

 脇をするりと通り過ぎた三毛猫に構わず、ほっそりした人差し指で呼び鈴を押す。

 確かな手応えを確認し、傘を畳むと引き戸が開いた。


「――姉さん」

「聖。こと様は?」

 久し振りに対面した姉弟だが、挨拶も省いて、沢口(さわぐち)()(くず)は弟に質した。外にある陶製の傘立てに畳んだ傘を手早く入れ、再び視線を聖に戻す。

 聖と同じ赤い目は険しくないが和んでもいない。

「昨夜からずっと眠っておられるよ」

「そう。不甲斐無いわね、聖」

 さらっと言ってのけ、パンプスを脱ぐと勝手知ったる家に上り込む。

 言葉は厳しいが声音は淑やかで、挙措も全て優雅なので強引な印象を与えない。

 足音が密やかなのはことへの気遣いもあるが、普段から楚々と動く女性だからだ。

 廊下を軋ませずに通り抜け、客間を見渡し、ことの寝室に至るまでに、音ノ瀬本家の空気に真葛なりに緊張していた。

(――――代替わりしてから、少し変わったみたい)

 真葛が知る以前より、柔軟になり、包容力が増したような気配を感じる。

(こと様が変えられたのか)

 寝室の襖の前で、一旦、正座して姿勢を整える。

 副つ家と音ノ瀬一族を離れて、外部の人間と真葛が結婚するに際して上がった反対の声を諌め、説き伏せて真葛を解き放ったのはことだった。

「こと様。真葛でございます。失礼致します」

 弟からことの窮状は聴いていたが、掛けるコトノハに籠める労りと思慕の念を惜しむ積りはなかった。




 額に温かくて柔らかい掌が触れた。


(お母さん?)


 いや違う。母は。もう――――。

 今日はまた、瞼が一段と重い。身体も気怠くてならない。

 雨はまだ降り続いているのだろうか。

 

 ……なぜ、真葛がここにいるのだろう。

 

 心配そうに、けれど親しみと情のある微笑を浮かべて私を覗き込んでいる。

 もう音ノ瀬とは無縁に、幸せに暮らしている筈の女性だ。

 昨日とは違い、微かなコトノハが聴こえる。

 御無沙汰致しております、と。

 ああ、本当に。私は頷く。

(ひとみ)君は元気か?」

 彼女の、確か今年で五歳になる息子のことを尋ねる。自分の声は相手よりも聞き取りやすい。

 真葛が破顔する。

 今日はお義母様に取られてしまいました、と。

 いたずらっぽく語る。私に負担を掛けまいとしているのに加え、彼女が婚家と円満に過ごしていることを知る私はほっとした。


 まだ食欲の無いことの為、台所で柚子ジャムをお湯で溶かし、柚子ジュースを作りながら、真葛が聖に言った。

「状況を聴いて、この目で見る限り、呼んで貰って良かったと思っているわ。でも、貴方のことは見損なった」

「無理も無い」

 殊勝に同意する聖をちらりと見上げ、真葛はマドラーでカップの中を掻き混ぜる。

「自信が無いならこと様から離れなさいな」

「……こと様が母君を呼ばれた」

 真葛のマドラーを持つ手が止まる。

「たすけて、と。僕は男だから……姉さんのほうが、今はこと様の傍らにいやすいかと考えたんだ。巻き込んで申し訳ないと思っている」

 淡い口紅を引いた唇を薄く開いて、真葛は柚子ジュースの明るく黄色い水面を見つめた。

 温かい湯気。健康的な発色。

 全ての子供時代がそんなものに守られる訳ではない。

 ことの母は娘に対して情の濃い人間ではなかったと、真葛も聖も知っている。

 開いた唇を、真葛が軽く噛んだ。

「解ったわ。それなら」

 それならどうしようもないわね、と真葛は目を伏せる。

 柚子ジュースには蜂蜜を多めに入れようと思った。 






挿絵(By みてみん)











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ