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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
天響奥の韻流編 第一章
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宵の月

 音ノ瀬劉鳴は浮世草のような男だ。普段は小ぢんまりした日本家屋に籠り、のんびり暮らしている。その住処は秘されており、劉鳴に剣の指導を乞おうと彼の姿を捜す者にはいっかな、彼は捕まらない。農協のおばさんと談笑したりしている、トレーナーにジーンズ姿の若い男を、天響奥の韻流九代目宗主とは誰も思わない。

 そんな彼が住処を出てはるばる街まで来て人目に姿を晒したのは、偏に、弟子であることの危急の時と察したからである。そうでなければ、面倒臭がりの劉鳴は動いたりしない。つまりは、現状がそれ程に切羽詰まっているということでもある。

 聖とは、平時でも時に逢い、飲み交わしている。劉鳴には数少ない気の置けない友人である。彼がことに恋慕していると知った時、劉鳴はまだ彼女を後継と見てはいなかったが、意外と感じると同時に見る目があると思ったことを憶えている。しかし先見の明がある劉鳴も、今のような事態までは想定していなかった。人生、長く生きていると何があるか解らない。

 仮住まいである旅館の一室で、緑茶を飲みながら出逢った頃のことに思いを馳せる。壊れ物のような少女だった。端整ではあるものの、固く閉ざした殻に閉じ籠る印象を受けた。音ノ瀬本家の後継であるゆえの負荷が彼女をそうさせているのかと思うと、痛ましさが胸に湧いた。

 彼女に稀に見る剣才があることもまた、運命の皮肉だった。ことの父親は権威主義者で、劉鳴が娘の才能を見抜くと知るや、音ノ瀬後継に加え、天響奥の韻流の後継も兼ねさせることに何ら躊躇しなかった。

 雀の鳴き声がする。

 明るく仄白い朝だ。

 聖がことの両親に抱いていた不穏な思いを、劉鳴は知っている。危惧しながら、けれど聖には実行出来まいと踏んでいた。すればことが泣くからである。実際に、泣かせてはいけませんよと釘を刺したこともある。聖は、唇に淡い笑みを刷いていた。

 さて、と部屋のクローゼットを開け、今日着る服を考える。洋装で行くか和服で行くか。思案の後、白地に青のストライプのシャツに、深緑色のベストを合わせ、下は黒いスラックスにした。ややトラッド寄りのカジュアルな洋装だ。

 貴方は、洋服も和服も似合うから得ね、と。

 そう言って笑った妻はとうの昔に故人となっている。出来た妻だった。

 亡くなった後、しばらく劉鳴は彼女の喪に服した。その頃、見上げた宵の空に浮かんでいた白くて細い月を、今でも憶えている。



ブクマありがとうございます。

劉鳴は副つ家の流れを汲んでいて、長命です。

妻を亡くしたことは彼を嘆かせましたが、今では後添いに

来てくれる人募集中です。このあたり、だいぶ大海とは

気質が異なります。

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