桃と梨と葡萄
雨音の中、明日香はぼんやり目を見開いた。琥珀色が現れる。
「お母さん……?」
その、少し舌ったらずな物言いが如何にも童女めいて、私の胸が痛んだ。外はまだ雨が降り続いている。
「起きましたか。食欲はありますか。果物のゼリーもありますよ」
瞬時に我に帰ったらしい明日香の琥珀色に緊張が漲る。この子は今、敵地で無防備な姿を晒している。その心細さはどれ程のものかと考えた。もーちゃんがぽよぽよやって来て、明日香の布団の上にぽすん、と座った。そして、目を見開いている明日香の首にすりすりと身体を擦り付けた。
「何、この子」
「式神のもーちゃんです」
多分、余り親切な説明になっていない。だが明日香は、それ以上を問うことなく、もーちゃんに触れ、撫でてやっている。もーちゃんは老若男女にモテる。
「どうして私に情けを掛けるの?」
「病気の少女に無体を働く趣味はありません」
明日香が、く、とまだ色の悪い唇を噛む。屈辱だろうか。矜持の高そうな子でもある。それに。
「貴方には呪がかけられていますね」
「え?」
「こちらの動向が解るような」
「そんな憶えはないわ」
「ええ。貴方の知らないことでしょう。もーちゃん」
するともーちゃんが、明日香の身体からずるりと呪符をくわえて引っ張り出し、私の手の平の上に置いた。明日香の目が驚愕に丸くなる。私はそれを痛ましいと感じた。呪符をビリビリと破り捨てる。まじないのかけられた紙は湿り気を帯びて、それ自体が不快だった。くすくす、と明日香が笑う。
「何だ、私、利用されてたのね」
「明日香さん」
「同情なんかしないで。そのくらいのことは覚悟で、私はあの一味に加わった」
「どうして、まだ年端も行かない少女である貴方が」
言った私に、明日香が挑戦的な目を向けた。
「私が自分で志願したのよ。お母さんを養う必要があったし、私には自分の能力に自負があった。でも、捨て駒扱いされたとなれば話は別よ」
「あちらの陣営の様子を教えてくださいますか」
だが、明日香は冷ややかな目で私の願いを一蹴した。
「おあいにく様。そこまで私もお人好しじゃないの」
「そうですか。なら良いです」
私が言うと、明日香は肩透かしを食った顔をした。
「良いの、それで? 私を拷問するなり何なりすれば良いじゃない」
「……貴方がどんな世界で生きてきたのか、私は知りません。ですがそれは、私の、ひいては私率いる音ノ瀬の流儀ではない」
「貴方、甘いって言われるでしょう」
「よく言われます。けれど、その甘さを補って然るべき実力もあるので」
さらりと言うと、明日香の琥珀色がまた大きくなった。表情豊かな少女だ。
「桃と、梨と、葡萄とどれが良いですか?」
「え?」
「ゼリーです。丁度、頂き物があるので」
「……桃」
私は唇に笑みを刷いた。私が部屋を出る時も、もーちゃんは彼女から離れようとしなかった。私には、今はそのことが必要と感じられてそのままにしておいた。雨はまだしばらく止みそうにない。
ブクマありがとうございます。
蒸して暑い一日でした。
九藤は早々に冷房を入れました。
熱中症には気を付けましょう。




