鬼の面
部屋が、静寂に満ちた。堅田社長は、目を細めて私たちの反応を見ていた。そこに物見高さはなく、寧ろ孫たちを窺い見るような慈しみさえ感じられた。静寂を破ったのは撫子だった。
「あかんで、おじいちゃん。そんなんは、あかん」
「撫子さん」
「あんな、死ぬ前に、欲しいもんが出てくるんはよう解るわ。うちかてきっとそうやもん。でもな、そこが人間、我慢のしどころなんや。歯ぁ食い縛って、遺される人たちの為ににっこり笑うて。せやないと、よう往生でけへんで」
堅田社長は言い募る撫子の顔を黙って見ていた。そこに、自分の意思を否定されたことに対する敵意は微塵もなかった。やがてゆっくり、皺の刻まれた口元が動く。
「往生しなくても構わない。私は、最後の夢の為に地獄に堕ちても良い……」
「音ノ瀬ことが死んでも良いか、なりふり構わずだな老害」
手厳しい言葉は隼太の口から出たものだった。私は、妙に悲しい気分だった。
堅田社長が私の命を犠牲にして良しと考えていることは、もう間違いない。けれどそのことを、強く非難出来ないでいる私がいる。もし私が、楓と聖と過ごした幸福な年月を、失い、やがて取り戻せる機会を得たとしたなら、きっと私も愚者の一人に成り下がるに違いないのだ。
「……そんな目で見なさんな。音ノ瀬ことさん。自分の命を軽んじる爺に、情けを掛けるものではありませんよ」
「私には解らない。私は、堅田社長。貴方の願いが叶えば良いと思う。けれど同時に、私にも譲れないものがあります」
「当然でしょう。ところで、音ノ瀬隼太君。君は一体、何個の宝珠を持っているのかな?」
矛先が隼太に向いた。隼太の表情は僅かも動かない。
「その質問は無意味だ。俺が幾つ持っていようと、お前たちの同情ごっこに付き合ってやる積りはないからな」
「こと様が、亡くなってもか」
聖が、部屋に入って初めて口を開いた。問い掛けは淡々としていたが、その奥にゆらり、揺蕩うものがあった。隼太は、聖の問い掛けを意に介さないだろうと思った。鼻で笑い、退けるのだろうと。
しかし、思いもかけず、隼太は唇を閉じた。閉じる力が、垣間見えた。視線が、畳の目を数えるように下を向く。次の隼太の言葉には、ここにいる全員が驚いた。
「思案中だ」
「ならば音ノ瀬隼太! 是非、社長に」
片桐が血相を変えて隼太の紫陽花色のコートの襟を掴む。それを見下ろす隼太の目は、一変、氷のように冷たい。
「音ノ瀬ことに関して、思案中と言った。老害については思案の外だ。大体、お前らはもう相当数、宝珠を収集しているだろう。音ノ瀬ことからぶんどった物も含めて」
ぞんざいに片桐の手を振り解く。片桐が血走った目で隼太を睨み、歯軋りした。歯が、白い。埒もないことを私は思った。
「片桐君、おやめなさい」
「……は」
「余り充実した話し合いとはならなかったが、私の意思はお見せ出来たと思います。宝珠は、申し訳ないがお返し出来ない。今日は、これにてどうぞお引き取りください」
私はぼんやりと堅田社長を見た。もうすぐこの世から去る人を。温和な顔に、鬼の面を進んで被り、自らの望みの為、修羅の道を進もうとする人を。
ブクマありがとうございます。
人生が残り少ないと知った時、人は
郷愁の里に戻りたくなるような気がするのです。




