ちいさきもの
最近、楓が寝る前には絵本を読んだり、物語を聴かせたりしている。
八歳になる女の子に絵本が相応しいかどうか、と言う人もあろうが、楓が喜ぶのだ。コトノハの勉強にもなる。絵と一緒に学べば、容れやすくもあるだろう。
物語には古典も入る。単語の意味を教え、噛み砕いて解説すると、楓は真面目な顔で頷く。幼いながらに興味深く感じていることが窺えて喜ばしい。
面白味は学びにとって、とても大切なことだ。
音ノ瀬家は、幼少から文学の世界に深く潜るよう育てられる。私も小学生の頃には、高校生が授業で習うような内容の本を読んでいた。
長じてコトノハを処方する為の、コトノハ採集の期間。
それは大人になってからも続く。
あらゆるコトノハを吸収し、適切に調合・処方するべく精進し続けるのだ。
その点は私も聖も秀一郎も変わらない。
私は布団に納まる楓の横に寝そべり、右肘を畳について思い浮かぶまま、秋の和歌を諳んじていた。
独特のリズムと抑揚は楽の音、子守歌にも通じるようで、楓は微睡んできている。
楓が寝入る様子はいつも私にほっとした安らぎと、少しの寂しさをもたらす。
額のあたりを撫でてやれば唇を緩め、そのあと、ぶる、と身を小さく震わせて布団の中で縮こまった。
肌布団と厚めの布団を掛けているのだが、寒いのだろうか。
朝晩冷えるようになってきてから、足が寒いと楓がよく言うので、靴下を二重に履かせたりしている。
布団の中を探り、小さな足に触れると、やはりひんやりとしていた。
これでは寒かろう。
私は両手を布団の中に入れて、楓の足を両方、掌で包み込んだ。
もっと早く気付いてやれば良かった。
楓の足と、私の手の温度が少しずつ歩み寄り、融和して解れるまで。
私はそのようにして、動かずにいた。
「ことさんはどうしてお宅にテレビを置かれないんですか?」
午前十時のおやつの時間。
本日のおやつはマカロン。
俊介の手土産だ。
淡いとりどりのナチュラルカラーは、美味しそう、と可愛い、が同時に喚起される見た目をしている。
楓への気遣いだろうが、花柄の包装袋に入っていたそれを俊介がどんな顔で買ったのか、想像するとちょっと面白い。
さっぱりしたレモングラスのハーブティーを飲み、マカロンをつまみながら楓と聖らと一緒に寛いでいたところへの、俊介の質問だった。
私は簡潔に答えた。
「苦手なんです」
「煩くて?」
聖が微苦笑している。
ここらの事情は、音ノ瀬家であれば察しがつくことなのだ。
「コトノハがひしめいていますからね。それも、実に多種多様な……」
「音ノ瀬一族はコトノハに敏感なんだよ、俊介君。情報が氾濫する世の中で、たまに精神に変調をきたす者もいる。御当主も一時期、聴覚を患われた」
私の言葉を聖が補足する。
俊介が驚いた顔で私を見た。
「本当ですか」
「昔、数か月間の話ですけどね」
楓がテレビを欲しがるようであれば購入も検討したが、尋ねると楓は首を横に振った。
遠慮しているようでもないので、テレビの無い状態は続いている。
「そうなんですか。俺なんか、テレビが無いと死んじゃうなあ」
俊介の感覚のほうが、現代人として普通だろう。
「色々、理由はありますが。うっかりコトノハを服用させられても困るので」
「うっかり?」
「山田さん。ドラマや映画、アニメでも良いですが、観て泣いたことはありませんか?」
「あります。動物ものとか……」
容易に想像がつく。
私はスモーキーピンクのマカロンを一口齧り、咀嚼して飲み込んだ。
間にジャムが入っている。甘くて美味しい。
「名優と呼ばれる人たちは、コトノハを処方する素質があるのです」
ハーブティーで唇を湿らせ、喉を潤す。
「用意されたシナリオに沿って、感情を然るべくように持って行き、それまで積んだ研鑽と熱意で紡がれる台詞には、力が宿る。それはコトノハを処方するに極めて近い行為です。私でも引き摺られそうになる時があります」
「じゃあ、役者ってコトノハ使いなんですか!」
私は笑った。
「ある意味ではそう言えますね。でも彼らはコトノハの意味や採集、処方への意識を子供の頃から叩き込まれた私たちとは違います。身振り手振り、表情も演技には欠かせないものですし。ですから正確には音ノ瀬一族と同じでは有り得ません」
「声優さんはもっとことさんたちに近いですか?」
「そうとも限りません。どちらにしろ、人によるところは大きいですから」
俊介は感心頻りの表情だ。
「ラジオでニュースを聴いたり、新聞を読んだり、時事は他の方法で把握するようにしています」
危急は風が知らせてくれることが多い。
「色んな方向から洗脳の論が飛び交う世の中です。そのコトノハを一々聴いていては身が保ちません」
私は物憂い溜息を吐いた。
例えるならば暑い日に、「今日は涼しいですね」と強力なコトノハを処方し、賛同を得ることも可能なのだ。




