マジックミラー
アーサーは上着の内側からテグス状に光る糸の束を取り出した。糸はそれ自体が生き物のように浮遊し、夜の中を進む。
過たず、コトノハを使う、今まさに夜陰に紛れての逃亡を図っていた人々に対して。彼らの首に、糸は優しく触れる。子守唄を歌われた子供のように稚く、そして難なく、首に糸を巻かれた人は動きを止めた。
アーサーが極上の声で呼ぶ。
「こちらにお出で」
彼らはアーサーの指示に何の抵抗もなく従う。糸を巻かれなかった人間が制止の声を上げても無駄だった。一色は眼鏡の縁に指をあて、この光景を眺めていた。現状において一色までが出張る必要はない。今の彼に求められることはアーサーの補佐であり、不測の事態に備えての臨戦態勢だった。例えばしゃにむに拳を振り上げ向かって来る人間への対処なども、その内に含まれる。一色は哀れを感じた。同胞を奪うなと泣きながら叫ぶ彼らは無力で、痛ましい。唯一の武器であるコトノハも、彼らの力量では一色やアーサーに通用しない。
だから、音ノ瀬隼太の出現は計算外であり、一色の心情を大いに乱した。
「勝手な真似をしてくれる」
夜の王、という言葉が一色の頭に浮かんだ。なぜだかは解らない。隼太が着ているコートは紫陽花色で、黒を思わせる要素などどこにもなかったのに。
アーサーが一色を一瞥する。そちらは任せるという意だ。一色は軽く顎を引いて承諾を示した。そして、この怒れる猛獣のような男との戦闘に突入する今後を思い、暗い気分になった。
「裂」
隼太のコトノハが、一色の左腕を裂いた。血が闇の中でも鮮やかに花開く。一色は唇を舐めた。乾いているとその時になって気づく。
「鏡よ鏡」
隼太の眉間の皺が深くなる。一色の言葉は遊戯のようで、隼太を軽んじてのことと思われたからだ。実際のところ、それはまるで逆だった。一色は、隼太の実力を十分に評価してこそ、その言動を取ったのだ。
宙に丸い鏡が現れる。夜の王とも猛き王とも称するべき隼太の姿が映し出される。
「迎え入れろ」
ごく短い一色の言葉の一瞬の後、隼太の姿は鏡に吸い込まれて掻き消えた。
どこかひんやりする一日でした。
お日様の時間帯が長くなり、初夏の気配も
感じます。
こういう、感覚の混濁した感じも好きです。




