世界を見たいと人は言う
今日は依頼客のある日だ。
それも大人ではなく高校生男子。依頼したのは彼の母親で、何でも進路の相談に乗ってやって欲しいと言う。高校という懐かしい響きに私の目がふと遠くなる。余り良い思い出はない。親しい友人もほとんどなく、私は孤立していた。思春期の少年少女たちは彼ら特有の鋭敏さを以て、私の異種なることにそれとなく勘づいていた。
過ぎた話だ。
思案した末、私は供する菓子を素朴なクッキーにしてみた。
素朴とは言え近所の美味しいと評判のケーキ屋で買って来たクッキーだ。きっとお気に召すだろう。お茶はアッサムにしよう。
私は青をごく薄めた友禅を着て、彼の到着を待った。
まだ、蝉は鳴いている。
おずおずとした様子で訪ねて来たのは、線の細い色白の少年だった。青いフレームの眼鏡を掛けていて、全体的に繊細そうな子だ。私は彼を客間に招き入れ、着座を促した。
「あの、音無、優馬です」
「音ノ瀬ことです。どうぞお楽に」
音無と音ノ瀬。面白い偶然だ。
「進路のことで悩まれているとか」
「はい。あの……。進学って、しなければいけないんでしょうか」
「就職をご希望ですか?」
「そうじゃなくて、僕、高校を卒業したら旅に出たいんです。世界を見て回りたいんです。死んだおじいさんが、そうしたように」
難問だな。
私は心中、渋面になった。どうやらこの優馬少年、見かけによらず遠大な志の持ち主らしい。けれど志だけで人は生きていけない。
「ご両親は何と?」
「……反対しています。何を夢物語のようなことを、と」
〝何を夢物語のようなことを言っている〟
嘗て、まだ私が子供の頃、コトノハの力で人助けをしたいと言った時、父は冷たく険しい声音でそう言った。父は徹底した現実主義者、合理主義者だった。
柱時計の音が時を数える。
「貴方の希望することは甘くありませんよ。辛いことも苦しいことも避けて通れない」
〝良いか、お前の願いは甘くない。辛いことも苦しいことも避けて通れないんだ〟
今ならよく解る。父の現実主義、合理主義は父自身が辛酸を舐めた上での言葉だったのだと。
優馬の目の奥に光が宿った。
「覚悟してます。おじいさんが、お前の肚が据わったら、好きにすると良い。旅費は工面しておいてやると、亡くなる前に言いました」
風がふわりと吹き、優馬の前髪を揺らした。
もーちゃんが縁側の端からこちらを覗き見している。
「今度、ご両親とお出でください。話をしてみましょう」
「ありがとうございます!」
優馬の帰ったあと、私は縁側に立った。
「やっぱりまだ甘かったですかね。お父さん」
私の口の端には辛うじて引っ掛かる程度の笑みがあった。
この寒気を乗り切れば春と思っています。
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