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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
宝珠争奪編 第三章
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波紋

祐善に見合いの話をされた時、不思議と桜の心は平静だった。ああ、父であればこのくらいするであろう。そう思った。折しも菅谷凋落(すがやちょうらく)の時。悲しみよりも虚しさの風が桜の心に吹いた。昴は祐善に抗議してくれたが、相手にされずけんもほろろだったという。

 その晩、桜は一人ひっそりと屋敷を出た。皮肉なくらいに星の美しい夜だった。向かった先は麒麟の家。祐善の手の及ばないところ。式神の水草は、桜の来訪に驚いた顔もせず、中に招き入れた。

「来るんじゃないかと思ったよ。桜姉さん」

「麒麟。ごめんなさい」

「何が」

「迷惑を掛けるわ」

「そんなこと。見合いの話は聴いてるよ。音ノ瀬経由でね。あの一族は耳が早い。親父もなりふり構わず必死だな。何か食べた?」

「いいえ」

「だと思った。冷やしうどん半熟卵のせとかどう?」

「美味しそう」

「作るから待ってて。あ、風呂も使って良いよ。ゆっくりしなよ」

「ありがとう」

 桜は本当に、この弟の優しい心遣いが有難かった。

 浴室を見ると檜の浴槽という贅沢ぶりだ。このあたりの拘りは、如何にも麒麟らしかった。桜はくすりと笑って、着物を一枚一枚脱いでいった。

 湯に身体を浸すとゆるゆると流れ出る強張りと疲れがある。自分で考えていた以上に消耗していたらしい。きめ細やかな肌を透明な雫が滑る。この肌を許すのが見知らぬ男性であるという仮定は、舌を嚙み切りたいくらいにおぞましいことだった。では誰であればそれが許せるのか。そう思うと一人の男性の姿しか浮かんでこない。触れ合いは少しだけ。桜は彼のほとんどを知らない。けれど漏れ出る人柄はある。潔癖で意思が強く、優しい。

 ――――そして恐らく他に想う人がいる。

 自分ではない。それだけははっきりしている。初めて恋心を抱いた相手が、桜を選ばない。そのことが桜にはどうしようもなく遣る瀬無く、切なかった。湯を向くと、二つ、三つ、波紋が生まれた。どうしようもないことだった。どうしようもないことだった。桜は名前の通り桜色に染まった身体を掻き抱いた。



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いつもありがとうございます。

僅かながら春の兆しが見えてまいりました。ささやかでも温かなコトノハが芽吹きますよう。

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