はるか昔の物語
夏も峠を越し、夜には初秋の空気が漂うようになった。楓の夏休みが終わらない内に、私と聖と三人で旅行にでも行こうかと話している頃に、それは始まった。
菅谷の経営する企業の子会社が数社、相次いで倒産した。また、菅谷の金庫番だった男が一人、大量の資産と共に姿を消した。菅谷本家では出元の解らない火事が起き、屋敷の三割が焼失した。
角砂糖がほろほろと端から崩れるように、菅谷もまたほろほろと崩れて行く。
私は縁側に座り、薄紫の僅かに滲んだ空を見上げて耳を澄ましていた。桜の嘆きが、昴の困惑が、麒麟の諦観が、そして祐善の憤りが手に取るように伝わってくる。釣忍が鳴った。うん、解っているよ。もう間もなくだね。
私は風に手を伸べて、じゃれつく空気をひと撫でした。
ことちゃん、頼むと言った麒麟の悲壮な顔は今でも忘れられない。私が出ねばなるまい。私は撫子柄の友禅に着替えた。聖に声を掛けると、当然のように一緒に行くと言う。これは私も心強い。何せ相手は女性蔑視の考えを持つ権威主義者だ。私一人では軽んじられて終わり、ということも有り得る。聖が秀一郎も伴ったほうが良いと言うので、電話すると車で迎えに行くとの応えがあった。気遣われているなと思う。そんな必要はないのに。
菅谷邸は火事のあとの修復作業の為、青いビニールシートが掛けてある箇所があった。車を降り、インターフォンで来訪を告げると、以前のように広い座敷に通された。ここは無事だったらしい。どかどかと足音も荒く祐善が姿を現す。
「音ノ瀬が何の用だ。知っての通りこちらは今、忙しい。窮状を嗤いに来たというなら今すぐお帰りいただこう」
「すみません。ですが現状の火種となったのは貴方です、祐善さん。人を蔑ろにし、邪法を行い、それらのつけが回ってきているのです」
「小娘が、聴いた口を叩く。麒麟やらに懇願でもされたのだろう。生憎とうちはこのくらいでは揺らがない。桜の嫁入り先も大企業の御曹司と決まっている」
「……今、何と?」
私は後ろに控える秀一郎を一瞥してから質した。
「二度言うことでもあるまい。桜は嫁がせる。あれもうちの為になることが出来て満足だろう」
桜の儚い微笑が蘇る。
敵に情けをかけてどうする、と言った言葉も。
そして私のコトノハでは祐善は揺らがない。陰陽師としての耐性があるのか、コトノハを服用しようとせず、跳ね除けるのだ。
「桜さんを犠牲にしないでください」
「あれは私の娘だ。音ノ瀬当主とは言え口出し無用」
「……」
私は、流れがひどく悪い方へ向かっている気がした。祐善が腫瘍だということには違いないのに、彼にどう処すべきか解らない。
「貴方は哀れな人ですね」
「愛は捨てた。はるか昔、恋人が死んだ時に」
そう告げた時だけ、祐善の目に情の欠片が浮かんで消えた。
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