エルダーフラワー
美しさと恐ろしさが共存する時というものがある。
その日の夕刻は、濃い紫と濃い紅が空を染め、その共存の要素を満たしていた。隼太は笑った。その笑みもまた、その共存であっただろう。彼はチャリン、チャリン、と銀色の小さな鍵を放っては掌に受け取った。
「どこのロッカーの番号だ?」
「……知らない」
「裂」
「ぐああっ」
隼太に問われた若者は口を噤んだが、隼太のコトノハは彼に容赦しなかった。派手な色合いのシャツを着た、如何にもチンピラといった風情の男である。
「暴力団が玩具にするには、過ぎた宝だ。渡してもらおう」
「知らないものは、知らない!」
「傷」
「――――!」
ただでさえ派手な色合いのシャツが鮮血で更に目立つ布地と化している。誰も通らない裏路地。隼太の後ろでは大海が退屈そうにしているだけだ。右肩には烏の隼太を留まらせている。くはあ、と欠伸して大海が言った。
「隼太。知らないって言ってるんだから、そのへんにしといたら?」
「この男が宝珠の管理を任されていたことは菅谷の調べで明らかだ。知らない筈があるか。お前は少し黙ってろ」
「はいはい。そのコートに血の染みをつけないようにね」
「…………」
隼太が聴くに値すると思ったのは、その最後の台詞だけだった。血の染みは落ちにくい。コートに飛ばないようにしなければ。この暑い最中にもコートを纏う隼太の心境は、本人以外は誰も理解出来ない。そのコートを与えた当の本人である大海にさえも。だから隼太は、少し訊き方を変えてみることにした。
「この近くの小学校に、若い音楽教師がいる。美人で、独身」
若者の肩が微動した。
「家族に見合いを再三、勧められているが、断り続けている。秘密の恋人でもいるのではないかと、家族は疑っている」
これらは全て菅谷の調べだ。
陰陽の道には詳しくないが、この情報網には舌を巻く。狙い通り、若者の顔色が変わった。自身に負う傷より、惚れた女を傷つけられるほうが余程に苦痛らしい。隼太はその感情には関心がない。嘗て知っていた気もするし、何も解っていなかった気もする。
「彼女に何もするな」
ほうら釣れた、と内心、隼太はほくそ笑むがそれ程嬉しくもない。若造が粋がっている姿は滑稽とすら感じられた。
「ならもう一度尋ねよう。これはどこの鍵だ?」
「頼む。彼女は何も知らない。危害を加えないでくれ」
「お前の口が生クリームのように滑らかに、正直になったらそうしよう。約束は守る」
約束は守る。
そう請け負った約束を、今まで隼太は何度か破ってきたが、特に良心の呵責も感じていない。必要な行動を、いつも選択しているに過ぎない。
「…………駅のすぐ横にあるエルダーフラワーという小さなビジネスホテルのロッカーの鍵だ」
「上出来だ。これで美味しいショートケーキが作れるな。もしもし? 話は聴いたな。女を解放しろ」
はっ、と若者が顔を上げる。その顔面は血の気が引いている。
携帯をコートのポケットに仕舞った隼太が、「何か?」と言うように小首を傾げる。
「彼女を、拘束していたのか」
「青年よ。物事にはタイミングが大事だ。もちろん、拘束していたとも。ああ、彼女の口に貼ったガムテープを剥がす際に、血が出ないように注意しておく必要があるかな? エルダーフラワーの花言葉は苦しみを癒す、だ。今回のことがPTSDにならないよう、せいぜい頑張ってエルダーフラワーになるんだな。行くぞ、大海」
「もう良いのかい?」
「ああ。あとはホテルに行って宝珠を頂戴するだけだ。暗くなる前には帰りたい」
去って行く隼太と大海の後ろ姿を呆然と見ていた若者は、顔を歪め、髪の毛を掻きむしり言葉にならない声を上げた。彼自身にもエルダーフラワーが必要なようだが、それは最早、隼太の関知するところではなかった。
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