子供の事情
隼太はそのぺーパーウェイトをつんとつついた。ごく細かい一面にびっしり覆われた多角形は半透明で淡い光を含み、それだけで鑑賞する価値がある。
「ただいまあ。いやあ、暑い暑い」
大海が買い物から戻ってきた。途端に賑やかになる。
隼太一人の空間だとしんと静まり、それだけでなく空気が重いのだ。音にすれば重低音に属する男は、本来が一匹狼だった。ことん、と目の前のテーブルに乳白色の入ったグラスが置かれる。顔を上げれば大海がにっこり笑う。
「カルピスだよ。好きだろう。氷が適度に効いて、水になる前にお飲みよ」
「……」
この、見た目の若い父親は、未だに隼太を子供扱いする癖がある。いや、本気でまだ幼い子供と思っている時もあるかもしれない。悲しく狂った男の本心は隼太にも掴めない。
「ふー、暑い。素麺にするかい?」
「任せる」
「隼太には鶏天も買って来たからね。最近、ちょと痩せただろう。夏バテは良くないぞ」
「煩い。この俺にそんな口が利けるのはお前くらいだぞ」
「そう、それは光栄。ね、磨理」
流石にぎょっとした。いつもの妄想かと思いきや、大海の横に楓と恭司が立っている。
「おい大海。何、拾って来てんだ」
「この暑い中にね、頑張ってうちを目指してたから、ちょっとほだされちゃってさ。磨理だって、身体が丈夫じゃないのに、いつまでも炎天下じゃ気の毒だ」
楓は磨理ではないという言葉を、隼太はすんでで呑み込んだ。そして苦く思う。いつもこうだ。父を切れず、情を残し、許すべきでない範囲まで許してしまう。大海は戦力にはなるがその精神状態は爆弾だ。
「で、何の用だ。お前ら」
「隼太さんにお話があって参りました」
音ノ瀬ことのような言葉遣いをする。影響は受けているのだろう。
「カルピス追加っと」
「大海。お前はしばらく黙ってろ」
「はい、はい」
隼太は顎をしゃくった。
「座れよ。取って喰ったりはしない。恭司の相手も骨だしな」
そっと楓が隼太の向かいのソファーに腰を下ろす。隣に恭司が。
水色のシャツブラウス、白いジーンズを穿いた楓の出で立ちは爽やかで清潔感があった。恭司は黒いボタンダウンシャツに黒いスラックス。まるでこの場では自分は黒子になると決めているようだ。
「で、話は?」
「ことさんの味方になってくれませんか」
直截過ぎる言葉に、隼太は一瞬、耳を疑った。今、この少女は何と言った?
「……宝珠集め、菅谷を見限り音ノ瀬に就けと」
こくり、と楓が頷く。
そんな楓と恭司の前に、ト、トン、とカルピスの入ったコップがリズミカルに置かれていく。大海を隼太はじろりと睨むが、相手は鼻歌を歌いながらさっさと台所に去った。〝磨理〟がいて機嫌が良いのだろう。
「――――お前に言っても詮無いことだがな。水木楓。盟約にはそれなりの重みが生じる。裏切り行為は諸陣営から信頼を失くす。俺にそんなリスクを背負わせて、対価として払えるべきものがお前にはあるのか」
恭司は何も口を挟まない。沈黙している。楓も黙った。隼太は、彼女がこれで引き下がるだろうと考えた。しかし。
「あります」
「……ほう?」
「私は次代の音ノ瀬家当主です。宝珠収集にご協力いただけるなら、私が当主になった暁には隼太さんの願いを一つだけ聴きます」
「風呂敷を広げるものだな」
隼太は少し愉快になった。楓の提案は、不確定の未来における約束であり、地に足のつかないコトノハだ。だが隼太は、こうも強気に出る楓の心意気を小気味よいと思った。愚直だが芯がある。
「残念ながら先約は菅谷だ。悪いな。だが、まあ、一度は自分を誘拐した男の元まで来たお前に免じて、極力、音ノ瀬との衝突は避けよう。確約は出来んがな。手を出せ」
「?」
楓が隼太に右掌を差し出すと、多角形のペーパーウェイトがその上に置かれた。楓はすぐにそれを宝珠と察知したようだ。
「これ……」
「やる。この俺を、多少は楽しませたご褒美だ」
バタバタと大海が飛び込んでくる。
「ねえ、みんな、素麺何グラム食べる? うわあ、お湯の前に訊いときゃ良かった!」
騒々しく手を上げ下げして、恭司と〝磨理〟と隼太に訊いていく。あと薬味、薬味、あ、わさび切れてなかったっけ、柚子胡椒、一味唐辛子、葱、茗荷、えーと、えーと、それから。
賑々しい大海の存在で、話の重要な空気は霧散してしまった。恭司と楓は予定外の昼食を摂り、隼太のマンションを後にした。
大海が後片付けを終え、隼太の前に座る。
そして彼は子供そのもののような純真無垢な瞳で隼太に尋ねた。
「殺さなくて良かったのかい?」
「…………」
「途中で気づいたけど、あの子、磨理じゃなかった。磨理じゃないのに、磨理の振りをするのは悪い子だよ。てっきり隼太は、殺すと思ってたんだけどな」
おかしいおかしいと大海は首を傾げる。
「大人の事情だ」
「ふうん。隼太が良いなら、それで良いけど」
嘘だ。本当は、子供の事情だ。
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