悪魔のように黒く天使のように優しく
その喫茶店はごく普通の、少し静かな店に思われがちだ。
だがよく注意すれば、店内の隅々にまでマスターの静謐な美学が行き届いていることが解るだろう。
カウンター席で薫を飲む彼は、少なくともこの店を高く評価した。
「悪魔のように黒く 地獄のように熱く 天使のように優しく 恋のように甘く これが珈琲である」
彼の諳んじた言葉を聴いたマスターは微笑を浮かべた。
「タレーランですね」
有名なフランスの政治家・タレーラン=ペリゴールの台詞である。
昴はにこりと笑った。
「流石、博識だ」
「いえいえ」
「博識ついでに尋ねたい」
「何でしょう」
「音ノ瀬ことの内部事情――――。貴方ならご存じかと思って」
「……お客様に関しましては、守秘義務がございますので」
「そこを押して。礼は弾むよ。貴方の答え次第で、このコーヒー一杯が札束に変わる」
「そういう問題では」
「困ったなあ」
全く困っていない笑顔で昴は嘯く。口から覗く八重歯が剣呑だ。
「そのへんにしておきたまえ」
完全に不意を突かれた昴は振り返り、テーブル席に座す秀一郎を見た。気配はなかった。自分がこの店に入った時、見回した店内にはマスター以外無人だった筈だ。その昴の困惑を見透かすように秀一郎が説明した。
「君が入店するのを察知すると同時に〝同化〟のコトノハを処方した。かくして僕は店と同化し、君には認知されない存在となったのだよ。菅谷昴君」
「伊達に狗じゃないと音ノ瀬隼太が言っていた」
「そう。伊達に狗じゃない」
「成程な。まあ良い。音ノ瀬ことのアキレス腱なら知れている。楓とかいうあの秘蔵っ子」
「否定はしないけれどね。彼女に手出しするのはお勧めしないな」
「どうして?」
秀一郎は嫣然と笑った。この男はこんな笑い方も出来るのかと昴は意外に感じた。
「雛を守る親鳥の必死を知っているだろう? 楓さんに手を出すと言うのはね、ことさんを本気で怒らせるということだ。この、僕でさえ、そんな恐ろしい真似はしない」
「……俺の親父とは違う人種だな」
「君の、君たちの境遇に同情しない訳でもない。けれどそれはまた別問題だ。同情で手を抜かれ、喜ぶ程、君の矜持は低くないだろう」
「うん。そうだな。あんたは賢明だ。この店でやり合うのは嫌だから、後日、仕切り直しをしよう」
「どうしてもやるのかい」
「そう。だってコーヒーは、悪魔のように黒いだろう?」
理屈になっているような、なっていないような言葉を最後に、昴は代金を置いて店から出て行った。
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