時の歯車
麒麟が宝珠を手土産にうちを訪れたのは、丁度その夕刻だった。
夕景の美しい日だった。薔薇色に染め上がった空に細い月と一つの星がぽつりと浮かび、真紅の薔薇は紫に変じようとしている。月桃香の細く白い煙がそんな空に昇って行く。
「姉貴だけじゃなく兄貴もか。そうだろうな」
早めの夕食である豚肉の生姜焼きを食べ、ビールを飲みながら麒麟は冷静な声音を出す。テーブルを囲むのは私と聖、楓ともーちゃん、麒麟である。客間の座卓で食べる時もあるが、今回は台所のテーブルでの夕食となった。もーちゃんは蒸したキャベツに胡麻ドレッシングをかけたものが気に入ったようで、黙々と食べていて可愛い。
麒麟の手土産の宝珠は、掌に乗るくらいの小さなビスクドールだった。ある富裕な老婦人の臨終に立ち会う機会にあたり、たまたま彼に託されたそうだ。
「戦線から退きますか」
「俺が? 何で」
「実の兄と姉相手では何かとやり辛いのではと」
「俺は菅谷に見切りをつけてる。桜姉さんと仕合うのは抵抗があるけど、昴となら別に構わないよ」
兄と姉で呼び方に隔たりがある。豚肉の生姜焼き美味しいなあ。ビールもご飯も進む、進む。
麒麟は物思う風情で少し黙ってから続けた。
「あいつらはさ、菅谷の他の世界を知らないんだ。桜姉さんは比較的、親父に気に入られてたからそれこそ籠の鳥でさ。女子寮のある大学に行きたいって言った時も親父はけんもほろろだった。昴は進んで菅谷に身を置いてるけどな。内心、あいつも複雑だろうぜ」
聖が三枚目の生姜焼きを食べつつ麒麟を見る。
「こと様に対峙する相手に手心を加える気はないよ」
「解ってる。それで良いさ。でも、出来れば命はとらないでやってくれ」
「その積りです」
聖が何か言う前に、答えたのは私だった。隼太などには甘いと嗤われるだろうが、宝珠の取り合いで人を殺傷することは極力、避けたい。この夕食に同席している楓は一切、私たちの話に口を挟まず時折もーちゃんの世話を焼いている。この子の弁えは既に大人のそれに近い。
「この家、居心地が良いな」
「いつでもおいでください。前以てお知らせくだされば、それなりの準備をしますよ」
「今日みたいに?」
「今日みたいに」
昼時に折り紙の鶴を飛ばして来訪を告げた麒麟は、少し笑った。ほんの少しの照れが垣間見えた。こういう表情をこそ、私は見たいと願う。まだ、恐らく麒麟の中で、勇魚を亡くした傷は癒えていない。こうして共に食事をとり談笑出来るようにまでなったのが奇跡と言えるくらいである。
前に進むのだよ。
私は胸中で呼びかける。
どれ程願っても時は後ろには巻き戻されないから。
その為の手助けはするから、前に進むのだ。
今の麒麟には酷であろうコトノハを、私は声に出さず心だけでそっと処方した。
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作中のコトノハが、生きて行く上での一助となれば幸いです。




