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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
宝珠争奪編 第一章
258/817

花の雪散る春の明ぼの

 硝子戸を開け放っていた縁側から、風が急を知らせた。聖も聴いたようである。

「僕が行きます。こと様はここに」

「いえ、私も行きます」

「……僕から離れないでください」

 聖は、最後は私に負けてくれるのだ。


 女が相手だとやり辛い、と恭司は思う。しかもこんなお嬢様然とした相手なら尚更だ。だが楓は守らねばならない。

「貴方が佐々木恭司さん?」

「まずは自分が名乗るもんだぜ」

 桜の問いに温度のない声で応じる。

 桜は右手人差し指を顎にあて、恭司の言葉を吟味しているようだった。

「そう、そうね。私たち陰陽師にとって、名乗りはとても重大なことだけれど、遅かれ早かれ判ることでしょう。音ノ瀬の情報網を以てしてなら。私は菅谷桜。菅谷祐善の娘」

「宝珠が目当てで来たんだな?」

「ええ。……ごめんなさいね。無粋な真似をすることになって」

 桜の毒気のなさに、恭司は調子を狂わされていた。もっと険のある女相手なら幾らでも強気に戦えるが、この女性からは淑やかな優しささえ滲み出ているのだ。

「……(ばく)

 身動きの取れなくなった桜に焦りの色はない。寧ろ恭司を興味深く検分するようだ。

(りょく)(おう)(まる)

 花色の唇が囁くと、天頂から一羽の鷹が急転直下して恭司を襲った。鋭い(くちばし)と爪に恭司は苦戦を強いられる。大きな羽根が舞い散る。

(へき)。恭司君、殺さないで!」

 楓の声に、恭司は冷静さを取り戻す。緑王丸は恭司を傷つけることが出来ず戸惑い、主人である桜を窺うように見る。楓の声がなければ、恭司は殺傷能力の高いコトノハを処方していただろう。

「優しいのね。水木楓さん。ありがとう」

 緑王丸は旋回した後、桜の後ろに張り出した楠の枝に留まった。

「そして佐々木恭司さん、ごめんなさい」

 何を、と問う間もなく、桜が素早く唱え言を発した。

「あんたりをん、そくめつそく、びらりやびらり、そくめつめい、ざんざんきめい、ざんきせい、ざんだりひをん、しかんしきじん、あたらうん、をんぜそ、ざんざんびらり、あうん、ぜつめい、そくぜつ、うん、ざんざんだり、ざんだりはん」

 神速、と言える速さだった。それから一拍手する。

 恭司が倒れて楓が悲鳴を上げる。しかし恭司は痙攣(けいれん)しながら起き上がろうともがいた。桜が軽く目を瞠る。

「凄いわね。今のは即座に人を気絶させる神仙道系の略言よ。これを受けてまだ動けるなんて」

 恭司の傍に蹲っていた楓が立ち上がる。表情は凛々しい戦士のそれだった。

「音ノ瀬が後継候補、水木楓がお相手します」

 桜が眉宇をひそめた。

「貴方はまだ幼い。ここは退くのが賢さというもの」

「貴方は恭司君を傷つけた。……(れつ)

 桜の腕や着物が裂ける。赤い血が流れる。本来であれば楓が忌むべきものだ。けれど桜は恭司を害した。許すことが出来ない。

 桜はそれでもまだ嫋やかな面差しでじっと楓を見つめていた。

「そんな風に想う殿方がいて羨ましいわ」

 言って掌に何かあるように、楓に向かいふうと吹きかける。

 季節外れの桜がひとひら、風に舞った。

(ぼう)

「無駄よ。まだ、貴方の力量では」

 日傘を開くと日舞のような身ごなしをする。ゆるり、ゆるり、舞い踊る。楓の頭の中は甘く惑乱していた。自分が何をしていたのか、忘れそうになる。ここはどこで、今はいつか。只、桜の舞に陶然とする。楓は必死で自分を保とうと右手の爪を左手の甲に喰い込ませた。血が滲む。そこでやっと、少しだけ我に帰る。恭司。こと。守りたい人たち。

「またや見ん かたののみ野の 桜狩 花の雪散る 春の(あけ)ぼの」

 ようよう言うと、桜の花吹雪が生じ、次いで冷たい吹雪と化した。桜の術が破れた証だった。しかし楓も今のコトノハの処方で力尽き、戦えない。それでも恭司を庇うことだけは譲らない。桜はそんな二人を深い目の色で凝視している。


「こんにちは、菅谷桜さん。私の楓さんがお世話になったようですね」



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作中のコトノハが、ささやかでも一助となれば幸いです。

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