花の雪散る春の明ぼの
硝子戸を開け放っていた縁側から、風が急を知らせた。聖も聴いたようである。
「僕が行きます。こと様はここに」
「いえ、私も行きます」
「……僕から離れないでください」
聖は、最後は私に負けてくれるのだ。
女が相手だとやり辛い、と恭司は思う。しかもこんなお嬢様然とした相手なら尚更だ。だが楓は守らねばならない。
「貴方が佐々木恭司さん?」
「まずは自分が名乗るもんだぜ」
桜の問いに温度のない声で応じる。
桜は右手人差し指を顎にあて、恭司の言葉を吟味しているようだった。
「そう、そうね。私たち陰陽師にとって、名乗りはとても重大なことだけれど、遅かれ早かれ判ることでしょう。音ノ瀬の情報網を以てしてなら。私は菅谷桜。菅谷祐善の娘」
「宝珠が目当てで来たんだな?」
「ええ。……ごめんなさいね。無粋な真似をすることになって」
桜の毒気のなさに、恭司は調子を狂わされていた。もっと険のある女相手なら幾らでも強気に戦えるが、この女性からは淑やかな優しささえ滲み出ているのだ。
「……縛」
身動きの取れなくなった桜に焦りの色はない。寧ろ恭司を興味深く検分するようだ。
「緑王丸」
花色の唇が囁くと、天頂から一羽の鷹が急転直下して恭司を襲った。鋭い嘴と爪に恭司は苦戦を強いられる。大きな羽根が舞い散る。
「璧。恭司君、殺さないで!」
楓の声に、恭司は冷静さを取り戻す。緑王丸は恭司を傷つけることが出来ず戸惑い、主人である桜を窺うように見る。楓の声がなければ、恭司は殺傷能力の高いコトノハを処方していただろう。
「優しいのね。水木楓さん。ありがとう」
緑王丸は旋回した後、桜の後ろに張り出した楠の枝に留まった。
「そして佐々木恭司さん、ごめんなさい」
何を、と問う間もなく、桜が素早く唱え言を発した。
「あんたりをん、そくめつそく、びらりやびらり、そくめつめい、ざんざんきめい、ざんきせい、ざんだりひをん、しかんしきじん、あたらうん、をんぜそ、ざんざんびらり、あうん、ぜつめい、そくぜつ、うん、ざんざんだり、ざんだりはん」
神速、と言える速さだった。それから一拍手する。
恭司が倒れて楓が悲鳴を上げる。しかし恭司は痙攣しながら起き上がろうともがいた。桜が軽く目を瞠る。
「凄いわね。今のは即座に人を気絶させる神仙道系の略言よ。これを受けてまだ動けるなんて」
恭司の傍に蹲っていた楓が立ち上がる。表情は凛々しい戦士のそれだった。
「音ノ瀬が後継候補、水木楓がお相手します」
桜が眉宇をひそめた。
「貴方はまだ幼い。ここは退くのが賢さというもの」
「貴方は恭司君を傷つけた。……裂」
桜の腕や着物が裂ける。赤い血が流れる。本来であれば楓が忌むべきものだ。けれど桜は恭司を害した。許すことが出来ない。
桜はそれでもまだ嫋やかな面差しでじっと楓を見つめていた。
「そんな風に想う殿方がいて羨ましいわ」
言って掌に何かあるように、楓に向かいふうと吹きかける。
季節外れの桜がひとひら、風に舞った。
「防」
「無駄よ。まだ、貴方の力量では」
日傘を開くと日舞のような身ごなしをする。ゆるり、ゆるり、舞い踊る。楓の頭の中は甘く惑乱していた。自分が何をしていたのか、忘れそうになる。ここはどこで、今はいつか。只、桜の舞に陶然とする。楓は必死で自分を保とうと右手の爪を左手の甲に喰い込ませた。血が滲む。そこでやっと、少しだけ我に帰る。恭司。こと。守りたい人たち。
「またや見ん かたののみ野の 桜狩 花の雪散る 春の明ぼの」
ようよう言うと、桜の花吹雪が生じ、次いで冷たい吹雪と化した。桜の術が破れた証だった。しかし楓も今のコトノハの処方で力尽き、戦えない。それでも恭司を庇うことだけは譲らない。桜はそんな二人を深い目の色で凝視している。
「こんにちは、菅谷桜さん。私の楓さんがお世話になったようですね」
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