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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
宝珠争奪編 第一章
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若者たちよ

 朝、門前に打ち水をしていると、スニーカーの爪先が目に入った。

 顔を上げると恭司だ。相変わらず、和製天使のような面立ちをしている。出逢った当初は手負いの獣のように険しかった表情も、今では随分、柔らかくなった。楓のみに起因することだろうか。

「恭司さん、おはようございます」

 私は空になった手桶(ておけ)柄杓(ひしゃく)を左手に、彼を中へ導いた。恭司は答えず、只、顎を浅く引いた。蝉の声が背中を打つ。連日、休むことを知らないのだろうか。今日は人間社会は休みだと言うのに。訊かずとも恭司が誰に逢いに来たかは判っている。私は玄関の脇に桶と柄杓を置いて、スリッパを出した。

「楓さん、恭司さんが――――」

「あー待って、ことさん、もーちゃん捕まえて!」

 ドタドタと楓が廊下を走って来た。私ではなく、恭司がもーちゃんの首(?)をひょいと摘まむ。

「何だ、離せ、離せ」

「ほら」

「ありがとう、恭司君」

 哀れもーちゃんは恋人たちを結ぶ虜囚(りょしゅう)となった。もーちゃんが逃げていた理由は一目瞭然だ。彼の青い体毛には色とりどりのリボンが結びつけられていた。

「楓さん。もーちゃんはお人形ではないのですよ」

「ことさん、これ、外して、俺、やだ」

「ほら」

「……はい。ごめんなさい、もーちゃん。恭司君、飲み物用意するから、客間で待ってて。ひーくんもいるよ」

 鬼兎は余計だと恭司の顔に書いてある。それはうちがうちである以上、私と聖が夫婦である以上、仕方ない。しかしこれは良い機会だ。

「楓さん。部屋にいてください。私と聖さんは恭司さんに大事な話があります」

「解った」

 話の後は二人をちゃんと逢わせる積りだ。


 氷の入った檸檬ジュースの硝子コップを三人分、用意する。檸檬の酸味のある香気が周囲に漂っている気がする。空は今日は薄曇り。うちから見える山の峰を雲が覆っている。あれが流れてこちらに来れば雨になる。

 恭司は話の内容をあらかた予想しているようだった。静かな眼差しで、私と聖の前に座る。座卓の上の浅い緑の裂き織コースターには檸檬ジュース。よく冷えて美味しい。蜂蜜をたっぷり入れてあるので、且つ甘い。

「話って、俺と楓のことか?」

「はい。確認しますが、恭司さんは楓さんのことを好いていますよね」

「ああ」

 何かを手放すような調子で恭司が答える。聖がそんな恭司を凝視している。至高の紅玉はどんな虚偽も見逃さない。釣忍が鳴った。やはり降るらしい。

「添い遂げる覚悟がおありですか」

 そこで恭司が黙った。私も聖も一言も発さず彼を見ている。

「俺はあいつを守る。けど、俺じゃあいつに相応しくない」

「逃げは許さぬ」

 私は冷厳として恭司に言い放った。音ノ瀬家当主として。楓の母として。あの子の将来を胸を張って語れる男以外に、誰が託すものか。

「音ノ瀬隼太と縁を切れ。でなくば楓と。隼太か楓を取れ。巷間(こうかん)に申すであろう、人生は選択の連続であると」

「……隼太とは切れねえ」

「では楓は諦めよ。守るというコトノハも所詮は浮雲よ」

「こと様」

「聖。黙っていろ。恭司。そなたからは血の臭いがする。未だ隼太の凶行の片棒を担いでいるのであろう。そんな男に楓はやれぬ」

「…………あいつは俺がいないと駄目だ」

「成程、共依存か」


 容赦をしていない自覚はあった。けれどなまなかな受け答えで、ゆるがせに出来る問題ではないのだ。恭司は追い詰められていた。他でもない私によって。けれどまだだ。まだ、極限状態にまでいかないと、この頑なな青年の心は定まらない。


「楓には他に好いた男が出来るだろう。そなたと違い、血臭のしない穏やかな男が。添い遂げて、子供を生み、この家で幸せに暮らすのだ。恭司。そなたはそれを見届ける気概があるのか。ある種、地獄ぞ」

 恭司が膝に置いた指がズボンの布地に食い込んでいる。

「それであいつが幸せなら」

「甘い。そして情けない。そのような心持ちで楓と逢っていたのか」

「ことさん、もう止めて」

 楓が聞き耳を立てていることには気づいていた。

「楓さん。これは私たちの話合いです」

「私にも関係あるでしょう。私の話でもあるでしょう。ことさん、恭司君と私を添わせて。どういった形でも良い。添わせてください、お願いします……」

 楓が畳に額を擦り付けんばかりの勢いで頭を下げた。恭司は呆然としている。

「…………」

 私はしばらく、愛娘の姿を目に焼き付けていた。

 大きくなったね。いずれは巣立つのだ、こうして、子供は皆。


「恭司さん、空いた時間に秀一郎さんのカウンセリング事務所を訪ねなさい。仕事を習い覚えながら資格を取るのです。今は通信で勉強が出来ます。隼太さんの傍には……そう、確かに貴方は必要でしょう。血を流さずにいられるようになれば、楓さんを迎えに来なさい。その時、音ノ瀬がどうなっているか解らない。貴方には入り婿になってもらうかもしれない。諸々の覚悟をしなさい。それが楓さんとこれからも逢い続ける条件です」


 黒い座卓に置いた秀一郎の名刺は、黒の中、白く凛々しく四角に存在していた。

 恭司はその名刺を黙視した。楓も覗き込んだ。

 その時私の脳裏に、同じ舟に乗る一対の男女のイメージが浮かんだ。


 花びらが降って、(はな)(いかだ)を割りながら舟は進む。

 彼らは祝福を受け、幸せになるのだろう。

 きっと幸せになるのだろう。


 私はそう願う。



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作中のコトノハが咲く花のひとひらとなれば幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ことさん、ずばりと踏み込みましたね……。 そして楓が割り込んでくることもおそらく織り込み済みだったのでしょうね。
[良い点] ことさん、気付かなかったようでちゃんと察していたんですね…血の匂いを。 いつも優しいのに凛とした厳しさを感じました。
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