シャインマスカット
隼太は今の状況を別段腹立たしくも思っていなかった。こととその周囲の人間を鑑みれば、予測出来る状況ではあったからである。傷ついた子は優しさと温もりに弱い。麒麟はことに就くだろうと考えていた。恭司が自分を抑制する動きをすることも、その予測の範疇だった。ねぐらにしているマンションの一室で、ウォッカを飲みながらソファに身をもたせかけていた。少し離れた隣には恭司が。向かいには大海がいる。恭司はコーヒーを、大海はカルーアミルクを飲んでいた。
「恭司、眠れなくなるよ。もうすぐ、十時になる」
「あんまり眠れなくても良いよ。俺はショートスリーパーなんだ。大海さん、甘いもん飲んでんな。そんなんで酔えるか?」
「カルーアミルクは結構、度数があるんだよ。磨理も好きなんだ。他のお酒は苦いけど、これは甘くて美味しいわねって、そう言って笑うんだ。花みたいに」
「……ご馳走様」
隼太はこの会話を聴いて心中で微苦笑する。大海の言葉は惚気のようだが、真実において磨理はもうこの世の人間ではないと〝知覚しないで〟言う人生の先達に、恭司が複雑な思いを抱いたことは確実だった。家の呼び鈴が鳴ったのはその時だった。立ち上がり、ドアスコープを覗いた恭司が一瞬、固まったのを訝しく思う。訝しいと言えばこの時間の来客、更にここが隼太の家でもあることを知っていることもそうだった。
来客はことと聖、それともう一匹、妖がことの足元にちょこん、といた。
「こんばんは。夜分の訪問をご容赦ください」
「音ノ瀬当主が、礼儀作法のなっていない女と知れればあの世の両親が嘆こう」
早速、隼太の憎まれ口だ。私は聴こえなかったことにして、受け流した。隼太は口では迷惑がっていることを言いながら、室内には入れてくれた。
「適当に座れ。うちはお宅とは違う。茶は出さんぞ」
「解っています。今日はもーちゃんの紹介と、詫びの品を持ってきたのです」
「もー?」
「もーちゃん。この子です」
言うと隼太は私の膝に座るもーちゃんをじろりと見る。もーちゃんは大きな一つ目でじっと見返している。大した胆力だ。対になったソファーのあちら側に隼太と恭司、大海が、こちら側に聖と私ともーちゃんが並んでいる。
「式か」
「はい。ゆえあって、私共で引き取ることとなりました」
隼太は至極どうでも良いという顔をした。この男は凡そ取り乱すことがない。
「詫びとは?」
「見かねてとは言え、貴方の宝珠集めの邪魔をしました。その詫びです。心ばかりの品ですが」
私は静かに聖が持っていた風呂敷を引き取り、それを広げてソファーの真ん中にある木を白く塗装したらしきローテーブルに、詫びの品を置いていった。塩麴、ナンプラー、レバーペースト、某有名ホテルのミートソースの缶詰、オイルサーディンの缶詰など。それからシャインマスカットを一房。
夜に美食の要たちが姿を現していく。匂いまで漏れ出るようだ。恭司の腹が鳴ったのをも、私は聴こえなかったこととした。
「大層な逸品揃いだがな、宝珠の代わりにはならんぞ。それにこんな夜更けに水木楓を独りにして良いのか」
「麒麟さんが、麒麟さんの式神をつけてくれています。それから結界も。こちらに昼間、訪れるのは、少し憚られましたので」
常に危ない橋を渡っている隼太たちだ。昼間は捕まらないだろうし、それなら夜に急襲したが良いだろう。
「どこでこの場所を?」
「蛇の道は蛇、です」
私は弧を描く唇の前に人差し指を置いた。恭司が楓の無事を確認してから、さっさと席を立ち、鍋を火にかける。パスタを戸棚から取り出しているところを見るとミートソーススパゲッティに食欲を刺激されたらしい。夜に高カロリー摂取することへの恐れを知らぬのは若者の特権か。恭司はそう若くもないが。
その後。
なぜか流れで宴会となった。なぜか。
私の持参した物が次々と使われ、料理の皿が増えていく。大海も隼太も当然のように料理をすることに驚いた。濡れたような黒い夜に明るく煌々と温もる家は健全ではある。傷を負った後、体重がかなり減っていたので、この時間に食事をすることも厭うものではないのだが……。
飲み、食べ、他愛ない時間を共有出来るとは私は予想だにしていなかった。相手は言わばお尋ね者である。必要であれば極めて冷酷な手段も辞さない。結局、隼太は私を許してくれたのだろうか。
「傷を負っただろう。お前のことだ、治さずに痕を残すんだろう」
つまり、それに免じて?
隼太は、多くは語らず、豪快に飲み食いして私たちを送り出した。シャインマスカットは不思議な程に甘かった。
ことたちを送り出した隼太は、部屋の一室に足を向けた。途中で大海が寝てしまったので、恭司が一人で洗い物をしている。
小さな部屋の戸を開けると、濃い血臭が鼻を突く。ことたちに飲食させたのは、万一にもこの臭いに気づかれない為でもある。
そこには丸椅子に、両目を潰され、未だ窪んだ眼窩から血を流す男性が手を後ろ手に縛られていた。陰惨な拷問のあとが窺える。
「宝珠を渡す気になったかな?」
「……何度、言われても答えは同じだ。あれは、我々の組織の命綱……」
「そうか、残念だ」
隼太が何の躊躇もなく、持っていたアイスピックで男性の太腿を突き刺す。男の上げる悲鳴は、外には届かない。
「こと様、どうなさいました?」
「……いえ、何でも。夜は今の季節でも涼しいですね」
「じき、熱帯夜にもなりますよ」
「ええ」
「シャインマスカットは甘かったですね」
「はい」
そう、甘かった。
隼太の対応も。
不思議な程に甘かった。
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