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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
風姿花伝編 第四章
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この心君知らず

 深緑の鮮やかな山間に、対となるような青空、白い雲。

 抜糸してから私の傷の具合がある程度、落ち着くのを待って、私と聖、楓と麒麟、そして秀一郎は温泉に出向いた。専ら音ノ瀬一族が使う温泉は塩化物(えんかぶつ)(せん)という泉質で、切り傷や冷え性に効能があり、秀一郎と聖が是非にと勧めたのだ。特に反対する理由もなく、私は頷いた。楓の学校は二日、休ませることにした。あの子の学力なら支障ないだろうという考えからである。これは大雑把ではなく信頼から来る大らかさだと自分では考えている。

 秀一郎の運転するミニバンに乗って温泉に着く。

 こざっぱりした佇まいの、綺麗な和風建築だ。あの、菅谷祐善の屋敷のような威圧はなく、飽くまで人を休ませようという思いが溢れている。私はここでも従業員と宿の主人の平身低頭の挨拶を受け、秀一郎が、提示された紙に必要事項を記入した後に部屋へと通された。部屋は私と楓、聖と秀一郎と麒麟の二部屋で、女性陣のほうが広い。これはまあ、私がここにいて、且つ楓は音ノ瀬の後継候補なのだから致し方ないかもしれない。男性部屋も狭くはなく、十畳はあるようだ。もうこちらでは蝉の鳴き声を余り聴かない。確実に移ろいゆく季節を私は感じる。

「楓さん、温泉に行きましょうか」

「うん!」

 天然温泉の露天風呂は、湯がさらさらとして心地好い。住宅街では味わえない自然の新鮮な空気を思い切り吸い込んで、吐き出す。呼吸というのは吐くほうが深いのが良いらしい。岩盤の湯舟で寛ぐ私の隣に、身体や髪を洗い終えた楓がぴっとり寄り添う。私の髪は楓が洗ってくれた。

「気持ち好い」

「それは良かったです。この温泉は、何代か前の音ノ瀬当主が発見したとも言われています」

「……音ノ瀬家の歴史は古いんだね」

「ええ」

 今、楓は改めて音ノ瀬本家を継ぐということの重さを痛感しているのだろう。


 風呂を上がると男性陣がマッサージチェアに座ったり(秀一郎だ)、コーヒー牛乳を飲んだり(麒麟)、……聖の姿がない。

「聖さんは?」

「あー、ことちゃん、楓ちゃん。ことちゃん、風呂上り姿が色っぽいね。聖さんは先に部屋に戻ってるよ」

「そうですか」

 軽い称賛はさらりと受け流し、私は楓にフルーツオレを買い与え、部屋に戻った。それから、楓を置いて男性陣の部屋に向かった。向かったと言ってもすぐ隣だ。木造の床がキイと鳴る。すぐに聖が出て来た。チャイムを鳴らす間もなかった。(うぐいす)()りではないが、ここの板はこのように重圧が掛かると軋むようになっているのだろう。

「こと様。温泉は如何でしたか」

「大変、結構でした」

 迎え入れられ、敷かれた座布団の上に座る。

「宝珠が近くにありますね」

 聖が頷く。

「こちらにはその為に?」

「いえ、偶然です。こと様の療養にと考えたのが先です。旅館に着いて、宝珠の気配に僕も気づきました」

「疑問だったのですが、麒麟さんはなぜいらしたのですか?」

「こと様への恩をどういった形でか返したいそうですよ」

 私は怪訝(けげん)な気持ちで言う。

「恩を売った憶えはありませんが」

 聖がそうだろうという表情でくすりと笑った。

「たくさんの人がこと様には恩がありますよ。僕もそうです」

「聖さんに? 私は貴方に恩を感じこそすれ逆のことなど……」

 双眸の赤が深くなる。

「いてくださいました。僕の孤独を、温めて癒してくれました。僕の命の恩人です」

「お……」


 大袈裟な、という言葉は胸がつかえて出なかった。

 私こそが聖にそう感じているというのに。

 聖は、全く解っていない。解っていないのだ……。



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作中のコトノハが皆さまに幸いを運びますように。

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