表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
風姿花伝編 第四章
237/817

鮮血とワイン

 私と聖は麒麟を見送った。麒麟の背中は悲哀と、決して諦めまいという決意に満ちているようだった。


 悲しい……。コトノハが届かない時。服用を拒絶された時はいつも悲しい。

空は明るい茜色で、日暮れにはもう少し時間がありそうだ。客間に戻ると桜の紅茶の香りがふわりと身を包んだ。

「ことさん」

 麒麟が去ったのを察したのだろう、楓が客間に来た。私の顔色をじっと見て、何かを窺うようだ。私の愛し子。

「ことさん、大丈夫?」

「ええ、大丈夫ですよ。お夕飯は何にしましょうか。今日はうちにあるもので済ませましょう」

「手伝う」

「ありがとうございます」

「僕も」

「聖さんは風呂の支度をお願いします」

 そう言った時の聖の顔を見て、私はくすりと笑ってしまった。聖は基本的に感情が面に出ない。それが今は、私の作業に加われない無念さが、僅かにその紅玉に表れている。しかしそこで私に不平を言う聖ではない。紅玉の無念は一瞬だけで、身を翻して浴室に向かった。

 ……何を失っても喪っても、人は生きねばならない。包丁で具材を切り、鍋を火にかけなくてはならない。風呂を洗い身を清めて、明日を生きる活力を養う為に眠る。そのようにして人の営みは続いてゆく。


「ごめんください」


 秀一郎よ。空気を読めよ。


「良いハムが手に入りましたので是非召し上がって頂きたく」

「どうぞお上がりくださいな」

 別にハムが缶詰のパイナップルと焼いたものと合わせると、最高の酒の肴且つ主食になると考えた訳ではない。決してない。来る客を拒むのは気が進まなかっただけだ。

 秀一郎を客間に通し、桜の紅茶を淹れ直して出して、私は楓と夕食の支度に取り掛かった。やがて風呂掃除を終えた聖が来て、秀一郎を見ると笑いかけた。

「いらっしゃい、秀一郎君」

「やあ、聖君。お邪魔してるよ」

「本当に邪魔だけどまあ良いよ」

 おい。会話が怖いって。

 これでこの二人はじゃれ合っているのだ。何せハイスペック同士である。本音で話せるような相手も中々いない。私は二人の間に透明の切子細工の入ったワイングラスと赤ワインのボトルを置き、カルパスと胡桃(くるみ)を小皿に出したものを出して楓と風呂に向かった。浴室に他愛ない言葉が反響する。楓がぴとりと私の背中にくっついた。若木のような柔らかさが密着する感触。

「早くことさんのお手伝いが出来るようになりたいな」

「ゆっくりです。ゆっくり行きましょう、楓さん。貴方にはコトノハの才能があります」

「ん……。私、私ね」

 楓が少し言い淀んだ。

「ことさんの本当の子供なら良かった…………」

 胸の深奥を太い丸太で突かれたように、私は呼吸をその時、忘れた。

「私は、楓さんが大好きですよ」

 声の震えが伝わっただろうか。楓。楓。私がどんなに貴方を可愛く愛おしく想っているか。私は振り返り、コトノハにならない気持ちを抱擁に換えた。裸の肌と肌の体温が互いに混ざり合い、私は楓を生まれ落としたような錯覚に陥った。


 風呂から上がった私たちはそれぞれ浴衣を着て、(たすき)がけして調理の続きを終えると男共の待つ座卓に座った。ワイングラスを傾ける秀一郎は(しゃく)に障る程、様になっていて、そして菅谷麒麟の一件を、聖が語り終えたところのようだった。焼いたハムの塩気と、これまた焼いたパイナップルの甘くじゅわと出る汁の混ざり合いが堪らない。


 ほら。

 こんな風に。


 私は麒麟の嘆きを他所に食を楽しむことが出来る。薄情な女だ。そんな自己嫌悪を拾い上げるように、三人は和やかに食事している。まるでそれが正解なのだと言わんばかりに。私は甘やかされているのかもしれない。

「菅谷麒麟の名前は以前から聴いたことがありました。腕利きの陰陽師だとか。何人も兄弟姉妹がいる内、彼が跡継ぎ候補の筆頭で、ああそう、勇魚という子は唯一の同母弟だったそうです」

 秀一郎はハムを咀嚼しながら、品を損なわず語る。不思議の力を持つ家では後継争いが起きやすい。音ノ瀬が好例だ。私がすんなり当主になったのが不思議な程なのである。そうした中、麒麟が心許せる肉親は、同じ母から生まれた勇魚だけだったのかもしれない。嘆きの深さは如何ばかりか。

 私は赤ワインを勢いよくくい、と呷り、切子の反射する光の向こうに血のもたらす絆、血がもたらさない絆を思った。



ブクマ、評価、ご感想など頂けると励みになります。

いつもご来店ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ