絹ごし豆腐
目を開けると聖と楓が私を覗き込んでいた。私は楓の掛けてくれた肌布団の下、紅梅色の着物は着ていない。ノースリーブワンピースでもない、依頼を受けた時に着ていた絹の立て襟の五分袖シャツに紺色のスラックスだ。戻って来たのだと思う。聖が小脇に文箱を抱えている。ちゃっかり宝珠を頂戴して来たのだろう。こういうところは抜け目がない。楓にぎゅっと抱きつかれた。最近は余りこういうスキンシップもなかったのだが、不安だったのだろう。
「心細い思いをさせましたね。すみません」
「ううん。ことさん、お帰りなさい。ことさんが眠った後、様子がおかしかったから、ひー君を呼んで看て貰ったの。ひー君が、これは異常事態だからことさんを迎えに行くって。ことさんの半分が抜け出てしまってるって言って。定規を持って」
「……聖さん。麒麟さんは?」
私は楓の髪を撫でながら尋ねる。紅玉を、逃さぬように。
「存じません。僕はこと様と宝珠をここに送ることのみを考えていましたから」
「…………」
「こと様」
「泣いていたのですよ、彼は」
「詮無いことです。元々、彼が仕掛けた罠だった」
「私にも隙があったのです。麒麟さんを、あの状態のまま置いて行くことはなかった」
「……」
チリーンと釣忍が鳴る。蝉と、緑の気配が色濃く室内にまで入り込んでくる。
解っている。これは私の駄々だ。聖は何も悪くない。間違っていない。けれどそう思うと同時にあの雪原で聴いた麒麟の慟哭が蘇る。音ノ瀬の聴覚は特殊で敏感だ。悲鳴一つからでも様々なコトノハを聴き取る。麒麟の慟哭からは様々な感情が聴き取れたが、中でも自分が弟を死なせたという自責の念が強かった。
聖と楓が私を見ている。聖は包み込むように。楓は心配そうに。
文江さんの境遇と心情に同調して、麒麟の嘆きにまた同調して。私は昔から父たちより忠告されていた。同調も共鳴も美徳だが、過ぎれば己を危うくするから気をつけなさい、と。私は神ではない。一介の女に過ぎない。ほんの少し、コトノハの力を持つだけの。私は項垂れて顔を覆った。二人が心配すると思いながら、今は何も見たくなかった。そうして楓が私に寄り添い、聖は離れた。
台所で立ち働く物音がする。深く息を吐いてそちらを見ると、聖が素麺の用意をしているようだった。豆腐も切っている。私は木綿より絹ごし豆腐のほうが好きだ。だから聖は今、落ち込んでいる私の為に絹ごし豆腐で冷奴を拵え、素麺の薬味に七味唐辛子や柚子胡椒、茗荷のみじん切りを添えている。全てが私の好みに添っている。聖は木綿派だ。今度は私から楓を抱き締めた。甘い匂い。優しい感触。私には手放せない宝が多い。麒麟や、文江さんの件でダメージを負った私を慰撫しようとする尊い手がある。だからこその宝珠なのだ。また再びめぐり逢い、縁を結ぶ為の。一度は引き受けた罰を帳消しにしようと足掻く私を、眩い蒼穹が嗤っている。
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