残酷春光
生きていて。それでも生きていて。
文江さんを見送った私は、一種の虚脱状態にあった。一人の依頼にここまで精魂籠めることもある。依頼客が背負ったものが大きい程に。私は文江さんの髪を梳きながら、肩を撫でながら、常に一つのことを考えていた。
幸せはいつどこで芽吹くか解らない。
だから命を手放さないでと。
大海の時といい、私は独りよがりな偽善を彼らに押し付けているのかもしれない。けれど可能性を投げ出さないで欲しかった。誰であったか。夏が過ぎれば秋が過ぎ、秋が過ぎれば冬が過ぎ、必ず春は来ると言った。それまで待ちましょう、と。
何も言わないのに楓が、お茶を淹れ直して持って来てくれた。今度は少し温めのお茶だ。「もう冷房は良いよね?」と確認してから冷房の電源を切り、縁側の硝子戸を開けた。途端に飛び込む釣忍の音。ああ、賑やかだな。緑茶が殊の外美味い。楓が傍に来て座り、こつんと額を私の肩に当てた。
「ことさん。恭司君のこと、どう思ってる?」
「良い若者です。彼ならば本気で女性を愛し、幸せに出来るでしょうね」
そうしていつか楓を攫ってしまうのだろう。あん畜生。
楓は私の言葉が嬉しかったのか、頭を肩に乗せてきた。ちょっと重たいけど可愛いから良い。
「けれど彼に貴方を託すには、色々と越えて貰わなければならない試練がありそうですね」
「……恭司君は過去に罪を犯したのね」
正確には現在進行形でも隼太の手先として色々やっている。
「止むを得ないと言うには、少しばかり重い……」
私はそれから少し眠ったらしい。夢現に楓が肌布団を掛けてくれたのを憶えている。
「憩」
優しいコトノハの処方もまた、夢現に憶えている。
私は夢の中、白い雪原を裸足で歩いていた。雪原には私の足跡が点々と残る。足の指先はかじかんで千切れそうに冷たかったが、私は白い息を吐きながら尚も歩いていた。そこに想いもかけぬ人物が立っていた。目を丸く見開いてこちらを凝視している。
菅谷麒麟。長身痩躯は重装備だ。
「驚いたな。こんなところまで来られるのか。流石は音ノ瀬当主といったところか」
「何がです?」
「あんた気づいてないのか? ここはふるさとにも連なる異界だよ。生身で来るのは、それこそ副つ家でもないと難しい」
「私は今……」
「半分生身だね。俺は今から宝珠を採りに行くけど、来るかい。競合相手だけど、ここまで来られた力に敬意を表するよ。……にしても寒そう。これ、着なよ」
麒麟が羽織っていたダッフルコートを脱いで私に着せかけた。意外な温もりに私は自分がノースリーブのワンピースを着ていたことに気づきぎょっとする。そして人肌の温もりに触れて思い出した。必ず春は来ると言った、その相手を。雪の髪に紅玉の瞳を湛えた誇り高い人を。
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