ナーサリーライム
さて。宝珠捜しの話はそれとして、私は依頼もこなさなければならない。行方不明になっていた期間などもあり、遠のいていた客足も戻ってきていた。楓が在宅中には、必ず彼女も同席させることにしている。見聞きして学んだことは彼女の後の財産となるだろう。それは楓が音ノ瀬家当主とならないとしても然りだ。
今日は土曜日だったので、楓と手を繋いで、もう片方の手にはスワトウ刺繍の日傘を持って、和菓子屋に客をもてなすようの菓子を買いに来た。濃緑色の暖簾の掛かった菓子屋は、祖父が生きている頃からのうちの贔屓の店だ。店主ともすっかり顔馴染み。それにしても今日は蒸す。宙を仰ぐと黄色味を帯びた太陽がその存在を主張して、空の青が溶かされそうだった。
「いらっしゃい。お、こんにちは」
「こんにちは」
「良いねえ、楓ちゃん。仲良くことさんとお買い物かい?」
「はい!」
和菓子屋の店主はくしゃりと相好を崩す。娘が欲しいが口癖だが、彼にいるのは三人息子。いずれも運動部で汗臭く過ごしているらしく、その愚痴を始めればきりがない。それで私はその愚痴が始まる前にと慌てて品物を選んだ。朝顔と、ちょっと変わった三毛猫の練り切りだ。店主は楓にうちの子にならないかいと冗談か本気か解りかねる様子で訊いていた。む。うちの楓は譲れない。すると楓がことさんの家にいるからとだけ笑顔で答え、店主を消沈させた。私としてはしてやったりだ。
坂を上り帰宅すると、予定より大分早いのだが、予約客と思しき中年の女性が屈み込んでいた。私は楓に菓子袋と日傘を渡して、自分も彼女のすぐ傍に屈み込んだ。
「どうしました。ご気分でも悪いですか」
「あ、すみません。少し、吐き気が」
「お上がりください。すぐに冷房を入れます」
私がこう言うと女性は目を丸くした。愛嬌のある丸顔に、泣きぼくろのある、シャツブラウスにジーンズという、普段着か仕事着か、いまいち判断がつきかねる服装の女性だ。自由業だろうか。
「――――貴方が音ノ瀬さん?」
「はい。音ノ瀬ことと申します」
「お若いのね。私、てっきりもっとご年配の方とばかり」
そこでまた白いハンカチで口元を抑え込む。私はともかく彼女を家に招き入れ、楓にも手伝ってもらい緑茶を冷やし、縁側の硝子戸を閉め冷房を入れた。釣忍の音色は、いざとなれば中にまで届く。
「大変、お見苦しいところをお見せしました。わたくし、狭霧文江と申します」
文江さんは冷たい緑茶を飲み、ベルトの位置をずらしてかなり楽になったのか、蒼白だった顔色もまともなものに戻っている。私は彼女の前に食べる気になるかは解らないが、三毛猫の練り切りをそっと出した。選択は正しかったらしい。文江さんは三毛猫の練り切りを見て、僅かに口元を緩めた。それから、私の隣に座る楓にちらりと視線を遣る。
「この子のことでしたらお構いなく。私の弟子で、万事、心得ております」
「……そう、なんですか」
それから文江さんは緑茶をもう一口飲むと、随分と長い間、黙り込んだ。
「自分でもよく解らなくなって」
涙に濡れた声。
「何がですか」
「私、男の人のことをあんまり知らないで仕事ばかりでやってきて。この年になって初めて付き合ったんですけど。良いお相手じゃなかったみたい」
「……失礼を承知で伺います。お腹に赤ちゃんがいますね」
文江さんは二度、三度と頷いた。涙が散る。
「相手は実家住まいで、親には知られたくない。認知出来ない、堕ろして欲しいが育てるなら独りで育ててくれと。どうも別にご両親の決めた婚約者がいたらしくて」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
私は正直、思うところが多かった。文江さんに対してではなくその相手の男に対して、思いつく限りの悪態を吐きたかった。非常にむかっ腹が立ったが、文江さんに言っても仕方ない。代わりに彼女に身を寄せてコトノハを紡いだ。
「幸福再来」
文江さんについていた暗い影のようなものが薄れる。楓は私の言いつけを守り、終始無言のままじっと見ている。これは所詮、一時しのぎ。私は万能の魔術師などではない。仮初の安らぎ与え祈ることしか出来ない。文江さんは、それまでと違い、わっと大声で泣いた。私の膝に彼女が突っ伏す。私は彼女の髪を梳いて肩を撫でた。何度も何度もそうした動作を繰り返した。彼女が泣き止むまで、長い間、そうしていた。
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