慈悲と無慈悲
「そういう次第で不首尾に終わりました。音ノ瀬隼太は再度、聖君の身柄を要求してくるでしょう。また、彼がこの本家にどういった贖いを求めるか知れません。宝珠を得ることも出来ず。僕の不徳の致すところです。面目ありません」
髪の毛一筋も乱れなく、ぴしりと整えた秀一郎は、しかし苦いものを面に滲ませていた。楓は学校、聖は地下牢にいる。私は薄く笑みながら秀一郎から事の顛末を聴いた。秀一郎への怒りは微塵もない。あるのは隼太に対する呆れだけだ。……命を軽んじる隼太は愚かだ。その愚かさは彼の幼少期の体験により培われたものだろう。三つ子の魂百まで。音ノ瀬隼人もとんだ遺産を遺してくれたものである。
「ここよりは私が引き受けましょう。元より私の領分の話だったのです。秀一郎さん、ありがとうございました」
温和な声。柔らかなコトノハ。だがそれらを、礫を喰らったかのように秀一郎は整った顔立ちを歪ませる。しとしとと水の匂いをさせながら夏の雨が降っている。微風に釣忍は動かず歌うことはない。風景の全体に紗が掛かったような不思議な時間。秀一郎こそが贄だった。贄に選んだのは私だ。だから私は考える。秀一郎の傷を癒す術を。最良のコトノハを。今日は、湿度は高いもののどこか底冷えがする。
「秀一郎さん、お昼を召し上がって行ってください」
「いや、しかし」
「天丼でも作ろうかと思います。買い物にお付き合いいただけますか」
外での歩き方も秀一郎は堂に行ったもので、必ず私より車道側を選んで歩いた。今日は普段着に近しい更紗小紋。多少、濡れても支障ないのだが――――。この人に誰かと想い想われる日が来て欲しいと私は切に願う。商店街の喧騒の中、秀一郎の紳士然とした姿はやはり浮いていて、聖の認識阻害のようにはいかない。堂々と民衆に混じり入るは王侯の気風で、誰もがモーセの海のように私たちを前に道を開けた。魚屋の片隅で緑色のホースが雑に束ねられ、その口からちょろちょろと細い水が流れ出ている。
商店街内部はアーケードで構成されており、人が濡れることはない。私ははあ、と息を吐いた。つまるところ私の我欲が発端なのだ。紅玉を喪うことが出来なかった。そうして、どれだけ罪深いか知りながら黄泉路を逆に辿らせた。アーチの向こうに見える空に祈る。
天よ。迷い子の私たちを導きたまえ。もう良いでしょう。私たちはたくさんの道を惑いながら迂回してきた。時には固く閉ざされた鉄の門扉をこじ開けるように。自然と現実に慈悲と無慈悲があるのは知っている。だがそろそろ、慈悲の顔のみを見せてくれて良いのではないか。
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青い蝶が珍しく、不出来ながらも写真に収めたものを載せてみました。




