音ノ瀬秀一郎という男
空はとりどりの花の色のように妖しく曇っている。
ことの家近くの喫茶店で、秀一郎は薫を飲んでいた。空はまた遠雷を運ぶのだろうか。安定しない空模様である。彼は聖程には自由人ではなく、就業してそれなりに忙しい身の上なのだが、その合間を縫って、こうしてことの近くに寄り、コーヒーを喫する。喫茶店の棚には、もう開き切った蕗の薹が活けてある。その横に苔むした黒い大振りな石があり、空間に野趣を添えている。
秘すれば花と言えば秀一郎のような男を言うのかもしれない。
好意を明言し、求婚までしつつ、その癖、真実の深みまでは晒そうとしない。晒したならその時は、硝子細工のように壊れる何かがあると、そう考えている。ふと、この店のマスターはどんな恋愛をしてきたのだろうと思う。そして、その勘繰りは無粋と思い、微苦笑を唇に刻みコーヒーカップを置く。カチリと小さな音が鳴る。ことと聖が結婚した時、秀一郎にも無論、堪えるものはあったが、絶望という荒波に放り出される程までではなかった。俊介はあの晩、相当、飲んでいたが、飲み過ぎた彼の介抱をしてやるくらいには、秀一郎には余裕があった。
幸せであってくれれば良い。それだけで良い。隣に立つのが自分でなくとも。
少なくとも聖はことを託せるだけの男であり、認めるにやぶさかではなかった。古風な考えかもしれないが、副つ家の当主という身分もことには釣り合う。彼が……一度、黄泉路に就いた時、ことの悲痛を思い秀一郎の胸まで張り裂けそうだった。聖は、こんなところで死んで良い人間ではないのだと思った。だがその状況を打開する為に、ことが払った代償は余りに大きかった。だから宝珠の話を聴いた時、光明が射したと感じた。こと自身を含め、多くの人が救われる――――。実は、秀一郎は既に三つの宝珠を手にしている。一つは水仙のような形をした乳白色のもので、もう一つは眠る妖精の形をした透き通る小振りの岩。更にもう一つはそのあたりに転がっていそうな石の、半分だけ美しい桃色をしたものだった。手に入れた経緯は企業秘密だ。
そして秀一郎は再びコーヒーカップを手に取り、薫香を味わいながら微かな雨音を聴いた。やはり降って来た。
有り余る想いの全てを露わにしない。
音ノ瀬秀一郎という男は、悲哀の雨にそぼ濡れた、秘した花のような男だった。
秘すれば花なり。
秘せずは花なるべからず。
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