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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
音ノ瀬異国血族編 第三章
189/817

誓約の盃

 季節はすっかり初秋だ。秋の始まりは他の季節と比べ、殊に密やかに忍び入るようだ。朝晩が冷涼となり、日中の太陽のこれでもかという威勢、穏やかになる。

 私は食器棚から、パート・ド・ヴェールの盃を取り出した。

 桔梗色と、白の盃。

 古代の技法で作られた硝子は現代の硝子の絢爛な輝きとは異なり、淡く鈍く光るようで。

 目に柔らかく映る。

 諸々の件が落着した暁には、これで聖と酌み交わそうと考えていた。

 虫のすだく音が聴こえる秋の夜。楓はもう寝ている。

 縁側には私の兎の後ろ姿。玉虫色めいた光沢の、青緑の着流し。

 私は聖と結婚する。かための盃とまでは言わないが、この盃で酌み交わすことは、一種の前段階であり、神聖な儀式のように思えた。

 澄んだ日本酒を、それぞれの盃に注ぐ。

 桔梗と白に育まれる湖。


 聖。

 聖。私は。貴方に告げねばならないことがある。


 私は盆に載せた二つの盃を持って縁側に行った。

 聖が穏やかな顔でそれらの盃と私の顔を交互に見る。何も言わない。

 私も、今は言わない。飲み干してから告げると決めた。

 風が吹く。釣忍が鳴る。

 風が吹く。優しい風が。


「どうぞ」


 私が勧めた白の盃を、聖は手にした。私も桔梗色の盃を持つ。

 二人同時に、唇を湿す程度に飲む。

 空には星。隣には聖。身に過ぎた夜だ。

 私たちは特に何を喋るでもなく、虫の音を聞きながら酒を少しずつ飲んだ。

 とうとう、盃が空になり、私は唇を複雑に歪ませた。

「聖さん」

「はい」

「私はしてはならぬことをしました。人として、音ノ瀬当主として」

「……はい」


 言え。私は怖じる私の心に命じる。


「貴方の来世に私はいません。次の来世にも、恐らく次の来世にも」


 カタン、と白い盃が盆に置かれた。

 衝撃に微動して揺れる赤い双眸。


「こと様は……どうされるのですか」

「恐らく、宇宙の果てで一人。世の行く末を見守ることとなりましょう」

「お独りで」

「はい」

「僕の来世に貴方はいない?」


 聖の声の、語尾は赤い双眸と同様、微かに揺れた。


「はい。それが私の払う対価です。ですがどうか、蘇らなければ良かったなどとは思わないでください。今、貴方が私の隣にいてくれる。貴方と、楓さんとに囲まれて生きてゆく。私の幸福はそこにあります。そこにしかありません」


 私は息を吸い込む。声よ、震えるな。


「そして、私は恐らく貴方より先に逝くでしょう」


 最大の禁忌に触れた身はその罪により蝕まれる。

 私は聖より先立ち、彼の来世には現れない。

 聖の沈黙は長かった。虫にその間を譲るような、長い長い沈黙のあと、聖は言った。


「楓さんにはいつお話しされるお積りですか」

「彼女の成人の暁には」

 聖が横を向く。

「僕は恨まれそうだ」

「それはないでしょう」


 その後しばらく、聖は再び沈黙した。深い思案に囚われているのだろう。秋は物思いを許す季節だ。


「待ちます」


 虫の音と、釣忍の音に溶けるように、聖のコトノハが響く。

「どれだけ先の世になろうとも、僕はこと様を待ち続けます。ですがまずは」

 聖は自らの胸に手を当て、目を閉じた。白い廂は降る雪みたいで。

 しんしんとして。


「今ある生を全うします。こと様と共に」


 悠久の、遠い先の邂逅は叶うだろうか。

 雪が上がり、赤い目が再び私を見る。

 信じている、と告げている。




挿絵(By みてみん)





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