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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
音ノ瀬異国血族編 第三章
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影送り

 やがて盛夏も過ぎ、秋の気配が感じられるようになる頃。

 依頼は久し振りに俊介を介してのものだった。


「俺の大学の頃の友人が、懺悔したいことがあると言ってるんです。俺なんかと違って一流企業で正規雇用されて、凡そ悩みなんかとは無縁な奴なんですけど。コトノハ薬局の話を聞いて、ことさんに打ち明けたい話があると」


 首を捻り、解せないといった風情の俊介に、私は微笑した。


「生きている限り、悩みと無縁な人などいませんよ。私でよろしければお伺いします」

 

 俊介はほっとしたように、けれど友人の悩みが気掛かりでもあるのだろう、やや不安そうに複雑な表情を晒した。今日の彼の手土産は焼酎とショートケーキで、その組み合わせが可笑しくて、私は紅茶を淹れながら含み笑いをした。紅茶は私と聖、俊介のぶんである。学校から帰ってきたら、楓におやつとして出してあげよう。

 季節の巡りは人が思うよりも規則的だ。段々と日が短くなっていく。洗濯物を干したり取り込んだりしていると、陽の運行にも敏感になる。夜になればすだく虫の音を聞いて、月桃香を焚きながら、縁側で楓と聖とのんびり歓談する。

 これ以上の幸せがあろうか。

 ショートケーキの上に乗った苺は食べると酸味が効いて、生クリームの甘さと良いバランスだった。


 俊介の紹介で我が家に来た男性は、麻のツイードを着た、颯爽とした、如何にも一流の商社マン、といった風情であった。顔立ちも悪くない。これでは女性の引く手数多だろうと考える。しかし彼は横柄な態度も見せず、私に対して非常に腰が低く、丁寧に接した。


「俊介の奴とは大学の同期でして」

「はい。そう伺っております」


 インクブルーの切子硝子の茶器を漆黒の卓にそっと置く。

 岡田と名乗った男性は軽く会釈して茶器を手に取る。一口飲んで、唇と咽喉を湿してから、再び口を開いた。


「あいつ、良い奴でしょう?」

「は? まあ、そうですね」

「俺はね、違うんです」

「と、申しますと」

 成る程、文字通り聴いて欲しいのだなこれは、と私は納得して、柔らかに彼を促す。

「今の俺があるのは、過去の汚点の恩恵なんです」

「…………」

「俺は学生時代から俊介が眩しかった。懐こくて、お人好しで、真面目で、誰からも好かれた。俺はそんなあいつをどこか斜に構えて見てたところがある。俺。俺は、裏口入学だったんです。金の力で、難関校と言われる大学に入学しました。受験ノイローゼになっていた俺を見兼ねた親父の仕業でした。俺はそれを長い間知らなくて、実力で大学に合格したものとばかり思っていた。けど、違った。事実を知った俺は、退学したいと親に言いました。でも両親に泣かれました。我が子可愛さにした自分たちの行為を愚かと思い、無に帰すのかと。俺は、結局、口を噤んだ。誰にも言わず素知らぬ顔で、まっとうに勉強して入学した奴らと肩を並べて歩いていた。そしてそのまま、すんなりと今の会社に就職が内定しました」

「……ご両親を恨んでいますか」


 彼は激しく首を横に振った。


「いいえ、いいえ。ただ、今在る自分を嫌悪する気持ちから逃れられず、苦しくて堪らないんです」


 痛ましい気持ちで、私は岡田氏を見遣った。今在る自分を嫌悪する。

 ひょっとしたら私もまた、聖にそのような思いを強いているのではないか。そんな疑惑も生じた。私は、岡田氏の両親側に立つ人間なのだ。罪に手を染めた――――。


「今の貴方が認められているのは、相応の努力あってのことでしょう。……貴方は十分に苦しまれたようにお見受けします。どうぞもう、ご自身を許して差し上げてください。俊介さんも、事実を知ればきっとそう仰るでしょう」


 岡田氏は震える手を額に当て、俯いた。前髪と、手の間からこぼれる雫の輝きに、私は見て見ぬ振りをした。清濁の混在する世界で、正しさだけを貫くことは難しい。岡田氏は断罪されずとも良かろう。自責の念を抱えた年数の長さを鑑みれば。そして過ちを主導した訳でないのであれば。けれど私には裁きの手が下る。それはもう必定のことだった。聖と楓を悲しませるかもしれない可能性だけが、私の心に影を落とした。



挿絵(By みてみん)




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