悪の華
シャルル・ピエール・ボードレールの詩集ではないが、この男と対面する時、悪の華という言葉を思い浮かべる。
艶やかに咲く、人徳に背いた大輪の風情が隼太にはあるのだ。
いつもの喫茶店で、私と聖は隼太と待ち合わせた。隼太と私は薫を、聖はアイスコーヒーを頼む。
「番犬……、いや、鬼兎つきで来たか」
そうへらず口を言って薫を一口。
「しかし思ったより骨のない男だったな、レイニー・ダーク」
「コトノハを手下に使わせ、悪事を働く貴方よりですか」
私の切り返しに、隼太はにやりと笑った。この男が笑うと不要な色気が出て私などはそれでうんざりするところがある。聖は無表情だ。
「退屈だったのさ。滅呪慟哭も結局は発動せず、レイニーは死んだ。言っておくが使った駒は花屋敷や隠れ山に遣った奴らとは違うぞ。だがつまらんから手を引かせる。警察にもそう言っておけ」
自首させるとまでは言わない。
そして。
レイニーは死んだ。
人一人の死を軽く物語る、その酷薄さ。さもあろう。
なぜなら彼は。
「毒薬をレイニーに都合したのは貴方ですね」
私は目を伏せ、薫の黒い水面を見つめながら問う。あえて正面を向かない。
悲しみが私にそうさせた。
隼太はあっさり頷いた。その様が、黒面に映った。
「頼まれたからな」
「彼の更生を望んでいた。僕たちは」
そこで口を挟んだ聖の言を、隼太が嘲笑した。
「更生。はっ、更生?」
私は何となく流しの向こうの低い棚に飾られた笹百合を見つめた。
清かで可憐で。レイニーの心とは相容れまい。
解っている。
レイニーは、もう行き着くところまで行き着いていた。
あそこまで心境が極まれば、最早どんなコトノハも届かない。
「死にたがっている奴は死なせてやるのが慈悲だ」
慈悲という言葉がこの男の口から出ると違和感を覚えるが、つまりはそういうことなのだろう。或いは彼はレイニーと自らの父である大海を重ねたのかもしれない。磨理に逢いに逝きたがっていた大海。マリアに逢いたがっていたレイニー。
「それでも人は生きねばなりません。……限られた時間の内を」
「綺麗事を抜かすな。お前は禁忌を犯した。それも人類に考えられる、凡そ最大の禁忌をな。そこの」
刃で斬るようにそう言って聖に向けて顎をしゃくる。
「鬼兎を生かしたいばかりに」
「ええ。報いはあるでしょう」
聖が隼太ではなく私を見る。ひたむきな赤い瞳は私をこそ案じているのだろう。
自らの蘇りの代償を、私が支払うことを。
「引き受ける覚悟は出来ています」
「結構なことだな」
「なぜ生き急ぐのです」
隼太に、一度訊いてみたかった問いを、私は発した。私の問いには少しく憐憫の情があったろう。それを許す矜持の持ち主ではないと知りながら。
隼太は不興を示さなかった。
「面白き、こともなき世を面白くさ」
高杉晋作の辞世の句だ。この男に相応しいような相応しくないような。
この先もこんな微妙な緊張関係が、隼太との間には続くのだろう。
私と聖はそれぞれの飲み物を飲み終え、席を立った。
硝子戸を開ける直前、振り向いた先には、紫陽花色を着た孤高の悪の華の姿があった。




