最後の晩餐
ベランダの窓硝子を開けていると、風が微かなジョージの声を知らせた。
〝一緒にアメリカに帰ろう〟
たまたまその時、レイニーも黄竜も揃ってリビングのソファーに座っていた。二人並んで音ノ瀬隼人の日記を読んでいたところだった。
「……だってさ、レイニー。どうするの」
「どうもしない。計画に変更はないさ」
「ジョージの奴、ずっと音ノ瀬にいて、ほだされたのかな」
「どうだろうな」
ジョージ、とレイニーは胸中で呼び掛ける。
帰る場所はない。
もう、どこにもないんだ、ジョージ。
私の名はレイニー。レイニー・ダーク。
止まない雨もある。
楓の為にお赤飯を炊いて数日後、藤一郎を伴い、私は呉服屋に赴いた。
店員が私に気付き、慌てたように奥に引っ込む。
間もなく出てきた店主に、私は告げた。
「預かっていただいている例の物を、引き取りにきました」
そう言うと店主の頬のあたりに緊張が浮かんだ。
「畏まりました。少々、お待ちください」
やがて運ばれてきた畳紙の重なり。一人で持つにはかさばる量だが、余人には神聖なそれらに触れさせることをせず、店主一人で持ってきた。
畳の上に置かれた畳紙を私は慈しむように撫でる。
「中をご確認なさいますか」
「はい」
間違いはあるまいと思うが、念の為に私は頷く。
黒の紋付羽織袴。
但し紋の箇所には夜光貝でくるりと風の舞うような意匠が縫い止められている。
夜半の夜叉衆の人数分、きっちり揃った羽織袴は、ここぞという時の礼服だった。
「それと、こちらです」
示された白の紋付羽織袴は、私と聖の物だ。音ノ瀬家当主と、副つ家の守り人との。
「何事か起きるのですか」
普段はこうした差し出口をしない店主が、厳つい顔で尋ねてくる。頬のあたりの緊張は、今や表情そのものと化している。控えめに点された電灯の下、店主の陰影が際立った。
「恐らく、そう遠くない内に。ご店主にも、ここを避難していただくことになる可能性があります」
「――――私は、ここを動きません。この店を守るのが、音ノ瀬家にご奉仕させていただいてきた、私の使命です」
「……命を大事にしてください」
「ええ。この店の、次に」
私は儚く笑んだ。予想出来ていた受け答えだったからだ。
うっすらとした明かりの下、藤一郎が畳紙を受け取る。かさばるので、今日は藤一郎の運転する車で来ていた。それでも家の前の長い坂道は徒歩で上るしかなく、私もだが、藤一郎には頑張ってもらわないといけない。
家に戻るとキャロラインとビクターが来ていた。
客間の卓に着いている。相手をしているのは、何とジョージだ。
恭司と楓も、漆黒の卓の端に座っている。
相変わらずカールした金髪も眩しいキャロラインがジョージに英語で何やらまくし立てていたところ、帰った私たちを見て一応の笑顔を作って見せた。金髪碧眼のビクターとキャロライン、そしてジョージがいると、人口的に我が家がかなりの割合で外国めいたものになる。
「お帰りなさい、コトさん」
「キャロライン。どうしたんですか」
「もう少しでレイニーたちの居所が判るかもしれないという報告に来たのよ。それと、ジョージから色々、これまでの話を聴いていたの。……マリアのこととか。本当はすぐに尋問したかったんだけど、別件で来るのが遅くなったわ」
「そうでしたか……」
キャロラインにそこまで話せるようになるとは、ジョージの心境も、うちにいる間に随分と変わったのかもしれない。
「それは?」
キャロラインが、私たちの抱えた畳紙を指して訊く。
私は唇に微笑を滲ませて答えた。
「我が一族の礼服です」
その言葉でキャロラインは私の覚悟を感じ取ったようだ。
「……今日の夕飯、御馳走していただいても良いかしら」
「はい、どうぞ」
ジョージはキャロラインに告げたのだろうか。
滅呪慟哭の件を。
もし発動されれば、彼女やビクターの身も危うくなる。
それすらも覚悟で、音ノ瀬隼人の日記を求めてこの町に滞在しているのだろうか。
私は戦女神のようなキャロラインの横顔を見つめた。
夕方には聖が戻り、俊介が来た。なぜか秀一郎まで来て、食卓は賑わいを見せた。
俊介が鰤のかまを持ってきたので、それを大根と煮て、春雨と豚肉、キャベツの炒め物、大根と紫蘇、ホタテのマヨネーズ和えサラダ、それからあおさの味噌汁を作った。
またもや椅子が足りないので、客間の卓を囲むことになったが、そのほうが皆の親密度は上がる気がする。
皆、笑顔だった。
並んだ料理に舌鼓を打ち、軽い世間話に興じた。
そしてそれが私たちの、平和な最後の晩餐となった。




