複雑怪奇
お盆は例年通り、音ノ瀬のしきたりで行われた。
この期間ばかりは夜半の夜叉衆も行動を慎み、死者に哀悼の念を示す。
私は白い綾織の単を着て、右後ろに秀一郎、左後ろに聖を従える形で一族の者たちの叩頭と挨拶を受ける。
この時期は両親のことを思うばかりだったが、年を経て、磨理や隼人、マリアのことも偲ぶようになった。死者に隔てはない。
桔梗色の透織を羽織り、一昨年と同じように桔梗が描かれた燈籠を用意して、送り盆の川に流す。
群れる蛍のような明かりたちが、水面を滑ってゆく。
〝彼が死んでから世界が消えたの。世界中のどこにも彼がいないの。その時、あたしの世界も終わったの〟
いつかの女性の言葉が蘇る。
彼女の胸は未だ血を流しているのだろうか。癒えないままだろうか。
私は死者の御霊の安らかなることと共に、彼女の心の平穏をも祈った。
やがて晩夏になっても、レイニーたちの行方は杳として掴めず、また、あちら側から何等かのアクションを起こす気配もない。一族の者が襲われたという話も、もう聞かない。夜半の夜叉衆の探索も虚しく、日々だけが過ぎていた。
牡蠣と純米吟醸を抱えてやってきた俊介は、そんな私たちのじりじりとした緩慢な緊張の日常に涼風を運んでくれた。
「陣中見舞いです」
そう言って笑う顔は日に焼けて、夏の人間とはかくあるべしといった印象を受ける。
今日は楓に聖、恭司にジョージ、秀一郎や藤一郎、晃一郎まで揃っている。俊介が牡蠣を大量に持ってきてくれて助かった。
牡蠣の半分をオーソドックスに酒蒸しにして、あと半分をフライにした。
つけあわせに小松菜の煮浸し、セロリの梅酢和えを作る。
椅子が足りないので客間の卓に料理を運び、皆、顔を綻ばせながらそれらを食べる。
こういう時間なのだ。大切なのは。
レイニー・ダークに奪われてはならないのは。
……レイニー・ダークが失くしてしまったのは。
「美味しいですね」
ほろ酔い加減で私が言うと、俊介が嬉しそうな顔をする。それから表情を改め、口を開く。
「俺に出来るのはこれくらいですから。……レイニーからはまだ何の連絡もありません」
その言葉で食卓がぴりりと張り詰める。
俊介は真剣な面持ちのまま続ける。
「あのコトノハが使われる前に、彼を捕縛出来れば一番ですけど」
私は俊介の盃に純米吟醸を注いだ。瓶から徳利に移したものを、である。
磊落に笑って見せる。
「飲みましょう、俊介さん。美味しい物の前でそんな話は無粋ですよ」
嘘だ。
本当は私こそが誰より一番、滅呪慟哭のコトノハを恐れているのだ。
喪うことを恐れているのだ。
大海やレイニーは、そしてあの女性は、私と表裏一体なのだ。
俊介は照れたように笑って、盃を飲み干した。
ジョージが、何かを見定めるような顔つきで俊介を見ていた。
虫の音がリー、リー、と響き柱時計のボオン、ボオン、という音と重なる。
暑い暑いと思っている内にすぐ秋の気配が忍び寄っているのだ。
忍び寄るのは秋だけで良い。
秋だけで良い――――。
食事が終わり、軽く雑談したあと、秀一郎たち三兄弟と俊介、恭司が帰途に就いた。
「恐れておられるな」
前に後ろになりながらしばらく五人で無言で歩いたあと、晃一郎がぽつりと言った。
月明かりのない晩、何の因果か民家の外に出された鉢植えに、街灯に照らされた桔梗がぽつりと小さく咲いている。
俊介がそれを見て目を細めた。
「御当主か」
藤一郎が応じ、晃一郎が頷く。
ことが恐れる対象を、二人の男は正しく捉えていた。ことはレイニーとの戦いにより、自分が傷を受ける事態などを恐れてはいない。
「致し方あるまい。……先代御当主夫妻の件もある。喪うことに過敏になられるのも、止むを得まいよ」
身内の話として、俊介は口出しを控えている。内心、ことを想い、痛みを感じながら。
藤一郎がちらりと黙ったままの末弟を見る。
訊くまでもなく、秀一郎の決意は明確だ。ことの恐れる事態を回避する。それに尽きるだろう。
「恭司君。君は何の為に戦う?」
秀一郎が矛先を自分から逸らすように、恭司に尋ねた。恭司もずっと沈黙していた。
「俺は音ノ瀬の人間じゃない。義理立てする積りもない。でも、譲れないものもあるんでね」
秀一郎がちらりとした笑みを見せた。
「ジョージの様子が変だったな」
藤一郎が話を転換させる。
「ああ。あれの胸中も複雑なんだろうさ。……人間は、あっちもこっちも複雑だらけだ」
藤一郎の微苦笑混じりの言い分に、反論する者は誰もいなかった。




