命の依頼
朝から雨で始まった一日。
海と山が深く混じった色合いの、しな織の座布団の上に、彼女はくずおれるように座った。
本日の依頼主である。
黒く長い髪に覆われた首やノースリーブのワンピースから出た腕などは、心許ない程に細く、装飾品の類は一切、着けていない。化粧もなし。
頬もこけ、ただ目だけが爛々としている。
出したインクブルーの切子硝子の茶器は一瞥すらしない。
これは難儀なことになりそうだと思っていた矢先、彼女が口を開いた。
「彼に会わせて欲しいのよ。死んだ彼に。ここなら逢えるって聞いたわ」
「……それはその時々によります。貴方の仰る方は現在、来ておられません」
「生き返らせて」
「…………」
「ねえ、生き返らせてよ」
「当薬局ではそのようなコトノハは処方しておりません。摂理に背きます」
彼女がはっ、と莫迦にしたような嗤いの呼気を吐く。
「摂理? 摂理が何だって言うの。そんなもの、どうだって良い。お願いよ」
彼女の表情が一転、弱々しくなる。
「彼が死んでから世界が消えたの。世界中のどこにも彼がいないの。その時、あたしの世界も終わったの」
ああ…………。
彼女は大海だ。大海でありレイニーだ。
〝磨理がいなくなってから、僕は長く生き過ぎた〟
〝あいつはな、レイニーは、亡霊に囚われているんだ。もうどうしたって、取り戻しの利かない過去に〟
彼女は漆黒の卓に身を乗り出して私に迫る。
「ねえ、頂戴。彼の声、彼の息吹、彼の熱、彼の肌。――――全部、あたしに返して。それと見合う物があれば何だってあげるわ」
自分の二の腕に、まるで誰かの手があるかのように両手を宛がう。
「それと見合う物がないのが命です。一度喪われれば二度と戻らない」
「――――そんな涼しい顔したって。貴方だって自分の身になれば摂理だなんて言ってられないわ」
「そうかもしれません」
私は素直に認める。
白いワンピースの上の黒髪に降り出している涙雨を見ながら。
感傷を振り切るように、私は彼女に告げる。
「時が貴方を癒すことを願っています。これが、コトノハ薬局に出来る精一杯の処方です。貴方の未来に幸がありますように」
彼女は泣いていた目をきょとんとさせると、次にげらげらと笑い出した。
「莫迦ね、貴方……。何にも解ってない。ああ、可笑しい」
泣きながらげらげらと笑い続ける様は、一種の狂人のようだった。
楓を恭司に託して部屋に避難させておいて良かった、と私は思う。
こんな様は見せられない。
今は襖を閉めてある客間の隣室にいるジョージはこの会話を聴いて何を思っているだろうか。
藤一郎は賢明にもずっと黙して右後ろに控えている。言いたいこともあるだろうに。
私が立ち上がると笑っていた彼女がびくりと身体を揺らした。
私はそのまま卓を回り込み、彼女の傍らに膝をついた。
額に手を当てる。
「癒」
本来ならば心にまでは作用しないコトノハだが、それしか今の私に処方出来るコトノハはなかった。
他に何かを言えよう筈もなく。
笑い止み、泣き止んだ彼女の身体を緩く抱く。
深い、深い闇を抱擁するように。
髪を撫でて。
すると彼女は静かに泣き始めた。身体に入っていた力が抜け、私に身を委ねてくる。
どうしようもないのだ。
こればかりは。
釣忍が鳴る。
梅雨の名残りの雨が降る。
訪れた命の終焉に、私が出来ることはない。




