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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
音ノ瀬異国血族編 第三章
173/817

命の依頼

 朝から雨で始まった一日。

 海と山が深く混じった色合いの、しな織の座布団の上に、彼女はくずおれるように座った。

 本日の依頼主である。

 黒く長い髪に覆われた首やノースリーブのワンピースから出た腕などは、心許ない程に細く、装飾品の類は一切、着けていない。化粧もなし。

 頬もこけ、ただ目だけが爛々としている。

 出したインクブルーの切子硝子の茶器は一瞥すらしない。


 これは難儀なことになりそうだと思っていた矢先、彼女が口を開いた。


「彼に会わせて欲しいのよ。死んだ彼に。ここなら逢えるって聞いたわ」

「……それはその時々によります。貴方の仰る方は現在、来ておられません」

「生き返らせて」

「…………」

「ねえ、生き返らせてよ」

「当薬局ではそのようなコトノハは処方しておりません。摂理に背きます」

 彼女がはっ、と莫迦にしたような嗤いの呼気を吐く。

「摂理? 摂理が何だって言うの。そんなもの、どうだって良い。お願いよ」

 彼女の表情が一転、弱々しくなる。


「彼が死んでから世界が消えたの。世界中のどこにも彼がいないの。その時、あたしの世界も終わったの」


 ああ…………。

 彼女は大海だ。大海でありレイニーだ。


〝磨理がいなくなってから、僕は長く生き過ぎた〟


〝あいつはな、レイニーは、亡霊に囚われているんだ。もうどうしたって、取り戻しの利かない過去に〟


 彼女は漆黒の卓に身を乗り出して私に迫る。


「ねえ、頂戴。彼の声、彼の息吹、彼の熱、彼の肌。――――全部、あたしに返して。それと見合う物があれば何だってあげるわ」

 自分の二の腕に、まるで誰かの手があるかのように両手を宛がう。

「それと見合う物がないのが命です。一度喪われれば二度と戻らない」

「――――そんな涼しい顔したって。貴方だって自分の身になれば摂理だなんて言ってられないわ」

「そうかもしれません」

 私は素直に認める。

 白いワンピースの上の黒髪に降り出している涙雨を見ながら。

 感傷を振り切るように、私は彼女に告げる。

「時が貴方を癒すことを願っています。これが、コトノハ薬局に出来る精一杯の処方です。貴方の未来に幸がありますように」


 彼女は泣いていた目をきょとんとさせると、次にげらげらと笑い出した。


「莫迦ね、貴方……。何にも解ってない。ああ、可笑しい」

 泣きながらげらげらと笑い続ける様は、一種の狂人のようだった。

 楓を恭司に託して部屋に避難させておいて良かった、と私は思う。

 こんな様は見せられない。

 今は襖を閉めてある客間の隣室にいるジョージはこの会話を聴いて何を思っているだろうか。

 藤一郎は賢明にもずっと黙して右後ろに控えている。言いたいこともあるだろうに。

 私が立ち上がると笑っていた彼女がびくりと身体を揺らした。

 私はそのまま卓を回り込み、彼女の傍らに膝をついた。

 額に手を当てる。


()


 本来ならば心にまでは作用しないコトノハだが、それしか今の私に処方出来るコトノハはなかった。

 他に何かを言えよう筈もなく。

 笑い止み、泣き止んだ彼女の身体を緩く抱く。

 深い、深い闇を抱擁するように。

 髪を撫でて。


 すると彼女は静かに泣き始めた。身体に入っていた力が抜け、私に身を委ねてくる。

 

 どうしようもないのだ。

 こればかりは。

 釣忍が鳴る。

 梅雨の名残りの雨が降る。


 訪れた命の終焉に、私が出来ることはない。




挿絵(By みてみん)





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