孕んだ雲
楓の髪が肩を越してさらさらと流れている。
私は専ら自分の髪を組紐で束ねる為、今時の女の子が着けているようなキラキラした飾りのついたヘアゴムやシュシュなどを持たない。無愛想で実用的なゴムで、今まで楓の髪を結んできたが、それでは哀れに思えた。
そこで私は楓の髪を結ぶお洒落なゴムを買い求めに、出掛けることにした。
聖は今日も千秋と、先日逃したレイニーたちの探索に赴いている。
よって私は朝食後、藤一郎と恭司、ジョージに、楓と外出する旨を告げた。
意外にも、反対すると思っていなかった恭司が、渋面で異論を唱えた。
「この非常時にそんな呑気なことしてる場合かよ」
楓が、自分が叱られたように肩を竦め、俯いた。
恭司の言い分は尤もであるが、私は彼の様子に違和感を覚えた。まるで鬼気迫る物事を抱えているような――――。恭司の目を覗き込もうとすると、彼はふい、と私から目を逸らした。私は恭司の態度にむっとしつつ、これを怪訝に思った。
「女の子のお洒落も非常事態ですよ、恭司さん」
「良いよ、ことさん。あたしは……」
遠慮されると尚、押したくなる。
因みに藤一郎とジョージはこの話題を持て余し気味なのが明らかだった。
無骨者二人か。
けれど藤一郎には同伴してもらわないと困る。万一にも、レイニーたちに出くわした時の用心だ。
そう考えていると呼び鈴が鳴った。
訪れたのは秀一郎だった。
白い麻の背広も涼しげに、すっきりとした姿は、自身を未だ怪我人扱いしてくれるなと言わんばかりだった。事実、そう思っているのだろう。
「本日より、夜半の夜叉衆に加わるべく、御当主の許可を得に参りました」
客間に端座して、改まった口調で言う。
「許す」
「有り難き幸せ」
当主と一族内の人間としての遣り取りは短く済んだ。
それから私は、秀一郎に今日の外出の件を話した。
秀一郎が微笑する。鼈甲ぶち眼鏡のレンズが光り、この気障な男の本領発揮な表情だ。
「僕がお供致しましょう。その代り、藤一郎兄さんは夜半の夜叉衆の探索に加わってください」
藤一郎が助かった、という顔をする。
うん、お前、シュシュという単語さえ知らなさそうだものな。こちらとしても洒落者の秀一郎が同行してくれるなら願ったりだ。
だが。
「良いんですか、秀一郎さん」
彼も本当なら夜半の夜叉衆として行動したい筈だ。
「今日はことさんたちのお供を優先します」
当然のように、にっこりと笑って秀一郎が答えた。
今日の空もいつでも泣き出しそうな気配を見せている。
いつ降り出しても良いように、私たちはそれぞれ傘を持って出た。
悪態を吐きつつ、恭司もついてきた。ジョージは再び留守番である。
私たちはまず、町の雑貨屋に出向いた。輸入雑貨が多く、お洒落な品を多く置く店である。ショーウィンドウに飾ってあるテディベアに楓の目が輝く。店内に入るとポプリの甘い匂いが香った。
店内の棚には丸いレジンで固めた小花のゴムや、立方体の形をしたナチュラルカラーの飾りのついたゴム、明るい花柄のシュシュや輝くビーズのついたピンなどが並んでいる。
近頃はこういうのが流行っているのか。
それだけでなくこの店には、輸入物のレースのリボンが豊富にあった。
フランス製、イタリア製、チロリアンな雰囲気の物もある。
実は私は流行物より、こちらのリボンを楓に買ってやりたかったのだ。
麻や絹の素材の精緻に編まれたレースのリボンは、楓の頭を可愛く飾るだろう。
秀一郎が如才なく楓に似合いそうなゴムを幾つか指し示し、恭司は辟易した顔でそっぽを向いている。
肝心の楓の顔が優れない。
「楓さん、どうしましたか。お気に召す物がなかったですか」
「ううん、あのね、ことさん」
「はい」
「あたし、ことさんがしてるような、紐が欲しいの」
まさかそう来るとは思わず、私はこの発言に虚を突かれ、右手で浅葱色の組紐に触れた。
秀一郎が軽く笑っている。
「楓さんは本当にことさんが好きなんですね」
「うん」
迷うことなく頷いた楓に、私は些か照れてしまった。
恭司が面白くなさそうに私たちを見ている。
結局、レースのリボンとヘアゴムを幾つか買った私たちは、そのあと音ノ瀬家御用達の呉服屋へと向かったのだった。
連絡を受けて藤一郎と合流した晃一郎は、怜悧な表情を兄に晒した。二人共、寒色系のシャツにグレーのスラックスで、末弟のそれとは異なる。
場所は廃工場近くの歩道。梅雨に入った今、頭上には曇天が広がっている。足元に生えた露草の青が可憐だ。
「レイニー・ダーク、水島黄竜。この二人の逃走を許したのは副つ家の御仁の失態だ」
「言うな、晃一郎。聖殿とて万能ではない」
「だが万能に近くはあるべきだ」
「…………」
「当分の間、二人の行方は掴めまい」
「その為の我ら夜叉衆であろう?」
晃一郎は藤一郎の顔を眺め遣り、語調を和らげた。
「僕は一族を守りたいんだよ、兄さん……」
「ああ、知っている。さあ行くぞ。風が我らを導いてくれるだろう」
音ノ瀬の男は二人、風に耳を澄ませながら歩を進めた。
雲が動く。
雨を孕みながら。




