乞う腕
黄竜は目を丸くしてピューイと口笛を吹いた。
「そういうこと? その子はあんたのいい女ってこと? にしては歳が離れ過ぎてない? あんた確か、そんな見た目で実際は三十行ってるでしょ。変態かよ。でも良いぜ、嫌いじゃないよ、そんなクレイジーもさ」
げらげらと黄竜が笑う。
(くそガキ)
まだ唇の端に残っていた血を拭いながら恭司は思った。
指摘された事柄に対してではない。
愉悦に身を任せるような言動が昔の誰かを彷彿とさせる。例えば自分など。
この相手はレイニー側の人間だろうが、コトノハを処方出来るということは、日系音ノ瀬の一人だろうか。少し探ってみるかな、と口の端を吊り上げる。そしてそんな余裕がまだ自分の思考にあることに若干の安堵を覚える。
冷静さを欠いてはならない。
それは秀一郎との戦いでも学んだことだ。
「そう言うお前は、何でクレイジーな野郎に就いてるんだ?」
この少年は自分とは違い見た目通りの年齢に思える。
どこか後輩に接するような心持ちで恭司は尋ねた。
「それはあんたも同じことでしょ」
軽く、いなされる。
まあそうだ。隼太もクレイジーな男だ。だが何臆することなく堂々として、そこが良い。
レイニー・ダークは違う。
名前通り、余りに湿り気があり過ぎる。過去にも性分にも。目の前の少年が、そんな湿り気を好むとも思えないが。
「Wound(傷)!」
思考の一瞬の間に眼前まで迫られ、コトノハと同時に腹に蹴りをもろに喰らう。
身体のあちこちに裂傷が出来る。とにかく楓を逃さなくてはならない。
天使と、和製天使は、再び真正面から対峙した。
重症を負った恭司が泣きそうな楓に伴われ、うちに辿り着いた。
丁度聖に行ってもらおうと考えていた矢先だった。
私は風に聴き、ことのあらましを把握していたので、すぐさま恭司の怪我をコトノハで治癒した。楓に可能な限りのあらかたの処方はしてあった。しかし聖も傍にいるというのに傷は中々塞がらず、私を以てして手こずらせた。この傷を負い、楓を守って敵を撃退してくれた恭司には感謝してもし足りない。
出来得る処方を一通りし終えた恭司を、今朝までジョージが寝ていた場所に寝かせた。
さすがにジョージは身の置き所がない様子でそんな恭司を見ている。彼からは恭司と敵対した相手についても訊かなければならない。
ジリリリリリリン、と黒電話ががなり立てる。
『御当主。不測の事態が起きました』
秀一郎だ。
「申せ」
『一族のおよそ三分の一が敵襲を受け、重軽症を負いました』
「治癒のコトノハは」
『処方済みです。しかし完治しにくい傾向にあります』
「……なぜだ?」
『相手のコトノハが英語であり、一族に不慣れな為です。免疫が少ない。これまで、英語でコトノハを処方される事態は想定していませんでした』
恭司から聴いた話通りだ。
効能は日本語に及ばないが、傷を受けたら治りにくいのだ。
私は受話器を強く握り締める。
「敵の人数は判るか」
『レイニー・ダークと思しき男に加え黄色い髪、緑の目の少年一人、他にもまだ女がいたという報告を受けています』
「一族皆に通達せよ。英和、和英、その両方たる辞書を読み込み備えよ、と。奇襲に際して対応出来るように。ここを軽んじれば命取りになるやもしれぬ」
『は。承知しました』
「敵は日系アメリカ人音ノ瀬の者。深入りせず、しかし一通りの事情は申し伝えておけ」
秀一郎には伝わっただろう。
彼にはジョージから聴いたレイニーの過去を知らせてある。
マリアに関する箇所を割愛して、一族には説明しろという意味だ。
レイニーの過去は迂闊に触れて良いものでなく、知れば反撃の手が鈍るかもしれない。
『――――――――はい』
チン、と受話器を置き、振り返るとそこに楓が立っていた。
泣いているかと思ったら、そこにはある種の強さを秘め、静けさに満たされた大きな一対の瞳があった。
その瞳の澄明に、私は胸が締め付けられる思いがした。
この子は何度、何度こうして私の密やかなるコトノハを後ろから窺い、耳を澄ませていたのだろう。
楓に手を伸ばし、抱き締める。抗わない楓の、柔らかな感触。
「楓さん――――」
胸が苦しくて痛くて、けれどそれは聖を想うものとはまた別で。
嫌な予感がするのだ。
何かとても悪い出来事が起こる予兆を感じるのだ。
だから私は今、こうして楓に縋っている。
古くは神祇官に属した、言わばシャーマン的家系である音ノ瀬の予感は往々にして当たる。
楓の細い首、腕、さらさらとした髪。
私は今、楓の母代わりとして思ってはならないことを思っている。
何と不甲斐ない。
けれど。
助けて。
助けて、楓。
押し込めても押し込めても湧き起こる不安を払拭する強さを私に頂戴。




