Something Old
「俺とレイニーは子供の頃からの付き合いだ。二人揃って日本語を親から教えられた。俺は親父から、レイニーは母親から。親父はじいさんから、レイニーの母親もレイニーのじいさんから。音ノ瀬の血統主義を嫌ってアメリカに渡ったじいさんたちだが、収容所に入った経験からアメリカのことも信じちゃいなかった。いつか俺らが日本に戻る日も来るかもしれない。その時に不自由しないようにって言ってたがね……」
雨の降る音と共に語るジョージは静かに凪いだ声音を私たちに聴かせた。
「貴方は違うと?」
「単に日本語のコトノハが忘れられなかったのさ、俺のじいさんも、レイニーのじいさんも。懐かしさも恋しさもあった。隠してただけでな。俺たちはコトノハの処方も学び、その腕試しをしたい思惑もあって、俺たちの力をどうやってか嗅ぎつけた秘密結社の勧誘に乗った。その内実は諜報機関に等しかった秘密結社で、俺たちは重宝がられた。……俺たちもコトノハを活用出来る仕事に張り合いを感じていた。日本語学校に通うマリアとレイニーが出逢ったのは、レイニーが大きな仕事を成功させ、結社から多額の報酬を受け取った時期だった。二人の詳しい馴れ初めを俺は知らない。マリアはよく笑う、花の好きな女だった。アパートメントのベランダの鉢植えに、花を育てていた。レイニーは俺に言った。マリアといると、マリアの部屋で花の香りを嗅いでいると、じいさんが話した音ノ瀬の血統主義も収容所のことも忘れて、ただ、前を向いて行ける気がする、と。明るい日の昇る方角を、彼女は指し示してくれるんだと……。だが」
ジョージの眉が微かにひそめられた。
キムチ鍋の牧歌的な匂いが漂う空間にはその表情は不似合いで、何だかちぐはぐな印象を私は受けた。
日常と非日常の混在。
「結社はレイニーとマリアの仲を許さなかった。俺たちがコトノハを処方出来るのは血筋ゆえだ。そういう血が流れているからだ。遺伝子に組み込まれているからだ。マリアにはそれがない。結社はコトノハを処方出来る女としかレイニーや俺に番うことを許さない意向だったんだ。俺たちの子供まで役立てる為に。レイニーとマリアの子供でもコトノハを処方出来る可能性はあるが、確実じゃない。レイニーは、マリアとの結婚が許されないのなら結社を抜けると言った」
また大きな雷の音が響き、硝子がびりびりと振動する気配がした。
「――――結果、マリアは秘密結社によって殺された。交通事故に見せかけていたがレイニーや俺を騙し切れるもんじゃない。そしてレイニーと俺は結社の奴らをことごとく殺し、秘密結社を潰した。血に拘る結社を憎んだレイニーは、次に日本の音ノ瀬に憎しみの矛先を向けた。直接的にマリアの死と音ノ瀬は関係ない。けどな、あいつにはそんな理屈、もう通じないんだ」
恭司はジョージの監視も兼ねてうちに泊まり、隼太は帰った。
翌朝は一転して晴れ、紫陽花が露に濡れて美しい風情を湛えていた。
私たちは朝食にキムチ雑炊の残りを食べてその妙味に舌鼓を打った。
ジョージの様子を見てから緊縛の術を解き、彼にも雑炊を供した。
初めて食べる味だったらしく、目を困惑気味に白黒させていたが、「……美味い」と言って微笑んだ。
楓がその様子に笑みを見せる。
危うい均衡の上にではあったが、私たちは平穏の内にあった。
私や聖が在宅であればジョージの見張りは十分だろうという思考のもと、恭司にはいつものように楓の学校への送り迎えを頼んだ。
尤も恭司は最初からそうする積りだったようだが。
彼の優先順位に思いを馳せた私は、唇で弧を描いた。
そして寝室の桐箪笥の抽斗を開け、そこから深海のような青い、長方形の箱を取り出した。ベルベット地であろう箱は柔らかな獣にも似た温もりがある。
そこには母の形見である真珠のネックレスが入っていた。
その円やかな輝きに、私はレイニーとマリアを想う。
きっとこのような装身具に身を飾り、マリアはレイニーと添う筈だったのだ。
その夢は毟るように破られた。
「…………」
聖。
私たちは、幸せになれるだろうか。
互いの命がいつまであるかも解らず、いつまでものんびり構えている猶予はない。
一族も私と聖の早くの婚姻を望んでいる。
あの、暗い雨のような男との一件が片付き、日記帳を取り戻せたなら。
その時は聖との式の段取りを彼と一緒に考えて行こう。
パート・ド・ヴェールの盃で酌み交わし。
聖と結婚すれば楓を正式に養子にも出来る。
明日を向いて行かなければ。
私たちは、生きているのだから。
けれどそう思い、それが正しいと信じる一方で、私の心にレイニーの悲痛な目、大海の呼ぶ声が密やかに息衝く。
和式を推す一族の声を振り切って、両親は洋式の結婚式を挙げたと言う。
その時に着けたのがこの真珠のネックレスだ。
それは祖母から受け継いだ物で、花嫁が身に着けると幸せになれる物の内の一つ、Something Oldだと母は言っていた。
貴方も洋式で挙式する時にはこれを着けると良いわ、と。
思えば余り物柔らかに話すことのなかった母との、数少ない触れ合いの記憶である。
どれだけ験を担ごうと、絶対に幸せになれるという保証はない。
私は真珠の箱の横に置いていた小箱も取り出した。
中には聖から貰った青い石の指輪が収まっている。
解っている。
私は、今は亡きマリアを悼んでいるのだ。
想い合う人がいながら真珠のネックレスも青い石も持たず逝ってしまった女性を。
もう出逢うことのない女性の存在が私の胸を軋ませている。




